日本僑報(bào)社 2023年7月23日(日) 10時(shí)10分
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「今日のレッスンはここまで」と告げられたときが、1週間で一番ほっとする瞬間だった。
マンションの11階でエレベーターをおりると、100メートル競(jìng)走ができそうなほど長(zhǎng)い廊下がある。薄暗いが、突き當(dāng)りにある大きな窓から明るい光が差し込んでいる。トンネルの出口のような光を目指して、ずんずん歩いていくと、奧の右端に二胡の先生宅がある。レッスン日、先生はいつもドアを開けて待っていた。
中國(guó)楽器の二胡を知ったのは、夫の仕事の関係で香港に住んでいたときだった。時(shí)は流れ、ふたたび夫に帯同して成都に行くことになった數(shù)カ月前、三味線の演奏を聞いて二胡を思い出した。そうだ、成都に行ったら、二胡を習(xí)おう。友達(dá)が一人もいない中國(guó)へ、そして、多忙な夫……、練習(xí)する時(shí)間はたくさんあるだろう。動(dòng)畫サイトで二胡の演奏を聞き、繊細(xì)で美しい音色にも惹かれた。
成都に移ってからネットで中國(guó)楽器店を調(diào)べ訪ねた。5軒目、小さな工房で二胡を購(gòu)入し、店主に先生を紹介してもらった。その先生は音楽學(xué)院の校長(zhǎng)をしていた方で人柄も申し分ないという。先生宅での一対一のレッスンが始まった。60代と思われる先生は1DKで男一人暮らし。必要最小限のものでシンプルに暮らす生活もいいなと思った。
いきなり中國(guó)語(yǔ)で二胡を習(xí)うのはハードルが高いので、まず日本で2カ月、二胡を習(xí)っていた。でも、私の弾き方は一からなおされた。日本でのレッスンは楽しく弾ければOKだが、中國(guó)では二胡に限らず、どんな習(xí)い事も基礎(chǔ)からきちんと學(xué)ぶ。55歳を過(guò)ぎての手習(xí)いは苦戦の連続で、音楽センスのなさも痛感させられた。
レッスンは週1回1時(shí)間。でも、先生のレッスンはだいたい1時(shí)間15分、ときには1時(shí)間半、最長(zhǎng)記録は1時(shí)間45分。ある日、私のできが悪いからレッスンが長(zhǎng)くなるのだと気づいた。先生に弾き方を直されると、左手と右手に気を配って言われた通りに弾くことができなくなる。うまく弾けず、先生が頭を抱えることもあった。そんなときは家に帰って練習(xí)したいと思うが、ある程度できるまで帰らせてくれなかった。「今日のレッスンはここまで」と告げられたときが、1週間で一番ほっとする瞬間だった。
先生には、毎日2時(shí)間、最低でも1時(shí)間、家で練習(xí)するように、と言われた。最初のころはあまり練習(xí)時(shí)間がとれなかった。でも、コロナ禍で日本に一時(shí)帰國(guó)し、その後、成都に戻ってからは1日1時(shí)間練習(xí)するようにした。內(nèi)容も少しずつ難しくなり、練習(xí)してもレッスンでなかなかスムーズに弾けなかった。「今日もぜんぜんダメだった」と気落ちして帰宅した日、先生に「微信」で「家で練習(xí)してもレッスンでうまく弾けない」と言い訳のようにメッセージを送った。先生から一言「功夫不負(fù)有心人的」(努力は報(bào)われる)と返事がきた。思わずスマホを抱きしめた。
D調(diào)に続いて習(xí)ったG調(diào)の練習(xí)曲でも壁にぶつかった。慣れないG調(diào)なのに、音符が內(nèi)弦と外弦を行き來(lái)するので私には難しかった?!笍帳堡胜い韦霞窑蔷毩?xí)していないからだろう」。先生に指摘され、1時(shí)間練習(xí)していると必死で反論した。先生は「二胡を極めるには、先生について學(xué)び、家で1萬(wàn)時(shí)間の練習(xí)をする必要がある。1日1時(shí)間の練習(xí)では30年近くかかる」と話し出した。そのころ私はよぼよぼのおばあちゃんだと思った。先生は「私は8歳のときから二胡を弾いているので問(wèn)題がないが」とにやり。このとき、なぜ同じ練習(xí)曲を弾いても先生の音色は美しく、私にはその音が出せないのか、理由がわかった気がした。
テキストには各國(guó)の楽曲も入っていた。先生は「お酒を飲んで踴るときの民族曲」「大みそかに1年を振り返るときに演奏する曲」など、曲の背景も教えてくれた。勇壯な行進(jìn)曲は「抗日戦爭(zhēng)のときの軍歌」と説明し「だけど、ずっと昔のことだ」と笑顔で付け加えた。
先生の家は、夏は暑く冬は寒かった。中高年層の中國(guó)人はあまりエアコンを使わない。夏場(chǎng)の汗拭きタオル、冬場(chǎng)のホッカイロは必需品だった。冬、レッスン前にコートを脫いだら「風(fēng)邪をひくよ」と止められたが、著たままではさらにうまく弾けない。春節(jié)など、悩んで果物やお菓子を選び「二胡を教えてくれてありがとう」と渡すと、「謝謝」と破顔した。言葉の壁もあり、先生とプライベートな話をすることは少なかったが、約2年、85回のレッスンに通ううちに少しずつ先生の生活が見えてきた。健康のため水泳をしていること、娘さんが成都に住んでいること……。レッスン中に娘さんと一緒に訪ねてきた男の子を見た途端、先生の表情は一変し優(yōu)しい祖父の顔になった。
日本に本帰國(guó)すると告げると、「まだ習(xí)っていないことも多いけれど、たくさんのことを勉強(qiáng)したね。帰國(guó)後、友達(dá)の前で演奏ができるよ」と言ってくれた。まだ人の心に響く音が出せないこともわかっていたけれど、うれしかった。
數(shù)日後、街中で漢服を著て琵琶を弾く若い女性を見かけた。日本で二胡の演奏をするとき、チャイナドレスを著ようと思った。チャイナドレスを買って帰らないと……。
■原題:八十五回の二胡レッスン
■執(zhí)筆者プロフィール:尾澤 結(jié)花(おざわ ゆか) 1962年?yáng)|京都生まれ。筑波大學(xué)卒業(yè)後、百貨店に就職、商事部で法人営業(yè)に攜わる。結(jié)婚して出産後、退職。仕事を再開後、ライターとして活動(dòng)しながら、NPO法人、職業(yè)訓(xùn)練校などのスタッフとして勤務(wù)する。夫の駐在に帯同し、2011年5月から2015年10月まで香港で、2019年7月から2022年3月まで(うち9カ月はコロナ禍で日本に一時(shí)帰國(guó))成都で暮らす。帰國(guó)後も中國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)と二胡レッスンを続けている。
※本文は、第5回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「驚きの連続だった中國(guó)滯在」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。
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