中國新聞社 2023年8月22日(火) 16時(shí)40分
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敦煌研究院の樊錦詩名譽(yù)院長は現(xiàn)在85歳だ。敦煌莫高窟関連の仕事を始めて60年にもなる。樊院長の愛稱は「敦煌の娘」。そして最近になり、樊院長は「星になった」という。
敦煌研究院の樊錦詩名譽(yù)院長(以下、樊院長)は1938年7月生まれなので、現(xiàn)在は85歳だ。敦煌莫高窟関連の仕事を始めて60年にもなる。樊院長の愛稱は「敦煌の娘」。そして最近になり、樊院長は「星になった」という。中國メディアの中國新聞社はこのほど、樊院長の歩みや思いを紹介する記事を発表した。以下は、その主要部分だ。
樊院長は北京大學(xué)歴史學(xué)部で考古學(xué)を?qū)煿イ筏?。卒業(yè)後には、敦煌研究院の前身である敦煌文物研究所で働くことになった。樊院長にとって敦煌は「夢でした。特別に素晴らしいと思っていました」という。しかし、現(xiàn)実は「夢」を打ち壊した。莫高窟周辺は、どこまでも続く砂丘と砂漠だった。畫家であり莫高窟の保護(hù)と研究に打ち込んでいた常書鴻氏や段文杰氏と出會(huì)ったが、樊院長が思い描いていた蕓術(shù)家の風(fēng)貌ではなく、「田舎のおじさん」のような風(fēng)貌だった。樊院長は土づくりの家に住み、土づくりのオンドルで寢た。飲み水には塩分が含まれていて、食べ物は雑穀だった。1960年代の莫高窟は外界からほとんど隔絶された場所だった。物資は極度に乏しかった。
喪失感を覚え、何度となく涙を流した。樊院長は「ためらったことも、動(dòng)揺したこともなかったと言えば、うそになります」と説明した。しかし「翌日になり石窟に入ると、どんなに苦しくても疲れていてもやりがいがあると感じました。自分の全精力を考古學(xué)の研究につぎ込んでこそ、その時(shí)は心の中の不快感を忘れることができました」という。次第に現(xiàn)地での生活に慣れた。夜中に土ほこりと一緒にネズミが枕元に落ちてくることもある。そんな時(shí)には殘っている土を払いのけ、何事もなかったかのように眠り続けるようになった。
樊院長はその後、長年をかけて敦煌石窟の考古學(xué)的期間分類を行い、莫高窟の大部分の洞窟の年代を徐々に明らかにした。そして參加した「敦煌石窟全集第1巻?莫高窟第266~275窟考古學(xué)報(bào)告」が完成した。この成果は、莫高窟の考古學(xué)研究にとって模範(fàn)的な意義を持つという。
考古學(xué)の研究の報(bào)告である「敦煌石窟全集」は、樊院長の最初の仕事であり最後の仕事でもある?,F(xiàn)在は10年余りをかけて編纂され、文字部分は30萬字以上に達(dá)した「第2巻?莫高窟第256、257、259窟考古報(bào)告」の出版が控えている。樊院長が現(xiàn)在、最も気にかけている仕事だ。
莫高窟は1940年代には満身創(chuàng)痍の狀態(tài)だったが、1960年代には輝きを取り戻していった。最初は「田舎のおじさん」のように見えた常書鴻氏や段文杰氏が、実際には「敦煌の守護(hù)神」として遺跡の保護(hù)に盡力したからだった。樊院長も先輩の仕事を受け継いで、遺跡を守る「不屈の戦士」になった。
若いころは內(nèi)向的で無口だったが、納得できなければ、他人と大膽不敵に論爭するようになった。樊院長に反論された側(cè)にすれば、まるで「言いがかり」をつけられたように思えることも多かった。樊院長のことを「厳しすぎて不人情」と評する人も現(xiàn)れた。
樊院長が「敦煌の娘」と言われるようになった最大の理由は、「母を守るためならどんなことも恐れない」という姿勢だった。敦煌研究を通じて友人になった米ゲティ保護(hù)研究所に所屬する文化財(cái)保護(hù)専門家のネビル?アグニュー氏は樊院長を「彼女は寅年だ。莫高窟の保護(hù)については虎のように勇猛になる」と評した。
莫高窟には多くの観光客が訪れる。より多くの人に文化財(cái)を見てもらうことは重要なことだが、見學(xué)者の増加は遺跡の保護(hù)と矛盾する?,F(xiàn)在は、観光客はまず敦煌莫高窟デジタル展示センターに足を運(yùn)び、自分の前後左右に球面投影される映像作品を鑑賞する。観光客は莫高窟と仏教文化の1000年の歴史を體感してから、実際の莫高窟を見學(xué)する。観光客は敦煌文化の神髄をより深く理解するようになり、同時(shí)に石窟內(nèi)での滯在時(shí)間は短縮した。このような方式が実現(xiàn)したのは、樊院長が30年以上も前に、當(dāng)時(shí)としては極めて大膽だった「デジタル敦煌」という概念を打ち出したからだ。
樊院長らは、莫高窟の古い寫真と現(xiàn)狀を比較したことで、壁畫が非常に劣化していることに気づいた。樊院長は苦悩した。そして1989年に北京に出張した際に、パソコンを使っている人をたまたま見かけた。そのことがきっかけで、樊院長は、莫高窟の全735の洞窟とその壁畫のデジタルアーカイブを作る構(gòu)想に到達(dá)した。
「デジタル敦煌」資源ライブラリプラットフォームが開設(shè)されたのは2016年だった。2022年末には、「デジタル敦煌?開放素材ライブラリ」が世界に向けて開放された。2023年4月には敦煌學(xué)の研究成果とゲーム技術(shù)を結(jié)びつけた「デジタル蔵経洞」が発表された。敦煌研究院が30年以上をかけて現(xiàn)実化した「デジタル敦煌」という理念は先進(jìn)技術(shù)を活用して、長期にわたって「引きこもって」いた文化遺産に新たな活力をもたらすことに成功した。
北京大學(xué)は2023年7月13日、中國の紫金山天文臺(tái)が発見した小惑星「381323」が同月10日、國際天文學(xué)連合によって「Fan Jinshi(樊錦詩)」と命名することが承認(rèn)されたと発表した。同発表は樊院長による莫高窟遺跡の研究や保護(hù)、さらに「デジタル敦煌」の構(gòu)築などを説明して「これらの功績は、彼女の60年にわたる遺産のほんの一部」と紹介した。
樊院長のもう一つの大きな功績とされているのが、後進(jìn)の育成だ。敦煌研究院共産黨委員會(huì)の趙聲良書記は、「樊錦詩氏は心優(yōu)しい年長者で、常に若者の成長に関心を持ってきました。若者が深く學(xué)び向上し、能力と特技を発揮して成功を収めることができるような環(huán)境づくりに努めてきました。私や多くの同僚は樊先生の手厚い育成により成長しました。私たちの後に、また次々と若い學(xué)生が敦煌にやってきています」と語った。
莫高窟関連の仕事に攜わるものは皆、樊院長を敬愛しており、樊院長の「追っかけ族」の狀態(tài)という。樊院長は若手から中堅(jiān)の専門家を日本や米國、英國などの大學(xué)や研究機(jī)関に派遣して學(xué)習(xí)させることにも力を入れた。そのことでも、莫高窟に攜わるチームのレベルが向上したという。
樊院長は、「私はもう80歳を過ぎていますが、生きている限り、中華文化の繁栄と隆盛のために心を砕き続けます」「どの世代にもその世代の使命があります。私は次の新しい世代がさらに自覚して文化の使命を擔(dān)い、新たな時(shí)代にあって勇気をもって中華の優(yōu)れた伝統(tǒng)文化の継承者、伝達(dá)者、革新者になることを心から望みます」などと語っている。(構(gòu)成/如月隼人)
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