Record China 2023年8月26日(土) 21時(shí)0分
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中國のネット上にこのほど、旅行で日本を訪れた中國人による旅日記が掲載された。以下はその概要。
2005年に宮崎駿監(jiān)督の畫集を買った。畫集とはいうものの、実際はアニメファンによって創(chuàng)作されたもので、宮崎監(jiān)督自身のことや作品を時(shí)系列で紹介するような內(nèi)容だ。私は數(shù)えきれないほどその畫集を読み、全てのジブリ作品が誕生した年を正確に言えるほどになった。
そして、旅行で日本を訪れた。自然に囲まれた三鷹の森ジブリ美術(shù)館は必見の場所だ。それはただの美術(shù)館ではなく、まるで宮崎監(jiān)督の世界と夢のために造られた城のようだった。館內(nèi)はどこを見てもジブリ作品の要素が散りばめられている。階段の隅には「となりのトトロ」の彫刻があり、屋上庭園には「天空の城ラピュタ」のロボット兵が構(gòu)えている。トイレでさえもジブリのシーンを眺められるかのような窓がついている。
木製の階段があり、子どもたちがあちらこちらで走り回っている。巨大な天井扇はゆっくりと回り、鉄製のエレベーターは往復(fù)を繰り返す。溫かな光がまるで永久に館內(nèi)を照らしているかのような夢の空間だ。見たところ、宮崎監(jiān)督の新作が出たばかりということもあり、館內(nèi)は記念や思い出というよりも、鑑賞すべきものと歩き回るべき場所が多く、川崎市にある藤子?F?不二雄ミュージアムにいる感覚とは全く違った。
70年代の「ドラえもん」の畫集の中で剝がれたステッカーを見ると、子ども時(shí)代のほとんどを共に過ごした物語が思い浮かび、時(shí)の流れが頭上から押し寄せてくるような、言いようのない空気が胸に入ってくる感覚を覚えた。2階にあるスクリーンでは、藤子?F?不二雄氏が自身の創(chuàng)作活動の軌跡を振り返り、のび太は不器用で、臆病で、引っ込み思案だった子どもの頃の自分に似ていると語っている。
資料によると、小さい頃の藤子?F?不二雄氏は運(yùn)動神経が悪く、體育も苦手で、學(xué)業(yè)も中の下くらいだった。コミュニケーションも苦手で、泣き蟲だったという。そんな彼だが、勇気を振り絞って夢を追いかけるために東京に行くことを母親に相談したそうだ。
1954年、藤子?F?不二雄氏は小學(xué)校時(shí)代のクラスメイト?藤子不二雄A氏と共に、藤子不二雄として共同ペンネームを確立。この名は以降多くの人に知られることとなる?!弗啸堡蜵太郎」に始まり、「ドラえもん」シリーズに至るまで、世界中の數(shù)え切れないほどの子どもたちの夢とファンタジーを描いてきた。
1992年、「ドラえもん のび太と雲(yún)の王國」の連載は私が見た「ドラえもん」の初めての長編シリーズだったが、藤子?F?不二雄氏の大病が判明した時(shí)期でもあった。彼はなんとか4年持ちこたえたが、最後はペンを握ったまま機(jī)に倒れ込んだと伝えられている。
私はいまだに「ドラえもん のび太の魔界大冒険」作中の1シーンを覚えている。魔王はのび太の仲間たちを捕らえ、のび太とドラえもんは元の世界に逃げ帰り、ドラえもんの妹?ドラミを見つけた。ドラミは「もしもボックス」を使って魔界そのものを消せば、のび太は元の世界で生き続けることができると提案した。しかしのび太は、魔界に巻き込まれた友達(dá)はどうなるのだろうと疑問に思い、あまり賢くない頭を使って考えた。ここで逃げてしまったら何も変えられないのではないか、と。そして彼らは魔界に戻り、魔王を倒して仲間を救い出すことを選んだ。困難にぶつかったら正面から立ち向かうしかない。逃げてもどうにもならないのだ。
ミュージアムの最後に、藤子?F?不二雄氏の妻が天國の夫に送った手紙がある。その一部を紹介したい。
「その後、どうしていますか。何故と思うほど、寸暇を惜しんで描き続けた漫畫、いまも変わらず子どもたちが読み、見てくれていますよ。よかったですね。優(yōu)しく、マジメ、高い理想を持ったあなたと過ごせたこと、これからも過ごすことができること、家族は感謝しています」
これには思わず涙した。この漫畫家に感謝を。現(xiàn)実の世界で數(shù)え切れないほどののび太のような子どもたちが、長く孤獨(dú)な子ども時(shí)代を乗り越えることができたのは「ドラえもん」が寄り添ってくれたからなのだから。(翻訳?編集/柳朱音)
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