中國語を「低級な言語」と主張するのは誤った“風(fēng)評”―関西大學(xué)?內(nèi)田慶市名譽(yù)教授

中國新聞社    2023年9月11日(月) 21時30分

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中國人自身が「中國語は低級な言語」と主張したことがある。しかし関西大學(xué)の內(nèi)田慶市名譽(yù)教授は、そのような考え方を否定した。寫真は紀(jì)元前11世紀(jì)につくられた酒器の一種の何尊(かそん)。漢字が刻まれている。

中國ではネットで「中國語は低級な言語だ」との主張が披露されることがある。理由は、中國語の表記で使う漢字は言語の最も基本的な要素を表す文字でなく、真の意味で「整列」させることができず、したがって英語のようにはさまざまなレベルの問題を最適に表現(xiàn)することができないなどだ。本當(dāng)にそうなのか。中國メディアの中國新聞社は、中國人でない外國人研究者の見解を紹介する趣旨で、40年以上にわたり中國語の研究と教育に攜わってきた関西大學(xué)の內(nèi)田慶市栄譽(yù)教授を取材した。以下は、內(nèi)田名譽(yù)教授の言葉に若干の情報を追加することを含めて、整理?再構(gòu)成したものだ。

中國語は外國人研究者に高く評価されている

言語自體に優(yōu)劣はない。しかし、海外の多くの研究者は中國語を高く評価している。特に古代中國語の簡潔性は印象的だ。一文字あるいは二文字で世の中のあらゆるものを表現(xiàn)することができる。古代中國語は単音節(jié)語が多かったが、現(xiàn)代では二音節(jié)語が多用される。例えば現(xiàn)在では「國家」という言葉を多用するが、古代中國語では「國」の一文字だった。単音節(jié)語が主流だった古代中國語では、簡潔さがより際立つ。

中國語のもう一つの利點は品詞分類が非常に柔軟なことだ。例えば動詞が名詞に変わることがある。「王」は普通は名詞だが、場合によっては動詞にもなる。

ただし率直に言って、中國人自身による中國語研究には限界があった。中國では長い歴史を通じて、「中國語研究」が體系的な學(xué)問にならなかったからだ。古代中國の初等教育では、言語を教える際に漢字の解釈と用法が重視された。そして「訓(xùn)詁學(xué)」という解釈學(xué)が登場した。

しかし西洋では早くから、専門分野としての言語學(xué)が形成され、研究者は獨(dú)自の理論により中國語の具體的な特徴を説明し、中國語の文法現(xiàn)象を総括した?,F(xiàn)代言語學(xué)の理論を用いて中國の文法を研究した中國人初の著作は、清末の學(xué)者である馬建忠が1898年に発表した「馬氏文通」だ。

西洋の視點で漢語を研究すると、中國語の比較學(xué)的な特性を容易に観察することができる。例えば助數(shù)詞の使用だ。英語などを見ても、助數(shù)詞に相當(dāng)する表現(xiàn)は非常に少ない。しかし中國語では物を數(shù)える時に、さまざまな助數(shù)詞を使う。中國人は気にもしていなかったが西洋人の學(xué)者は不思議な現(xiàn)象と考え、中國語の助數(shù)詞の研究に著手した。

また、中國と西洋では品詞分類も異なる。近代になり雙方の交流が盛んになったことで、現(xiàn)代中國語は西洋言語の特徴を取り入れて名詞、動詞、形容詞などがまとめられたが、古代中國語には「実詞」と「虛詞」の2種類しかなかった。

ただし、西洋の中國語研究方法も完璧ではない。西洋の言語研究の理論の枠組みで中國語を研究すれば、問題も生じる。


言語を理解するためには背後にある文化を知ることが必要

私は當(dāng)初、中國語學(xué)について語彙や文法と近代中國語の研究に注目していた。しかし、歐米の學(xué)者との交流が増えてから、言語習(xí)慣が形成された背景が各地の文化や歴史、考え方と密接な関係にあることに気付いた。例えば、「內(nèi)」と「外」だ。駅のホームで日本ならば「黃色い線の內(nèi)側(cè)でお待ちください」と言うことが多いが、中國では「黃色い線の外側(cè)でお待ちください」と言うことが多い。この違いは、「相手を主とする」か「自分を主とする」かの違いだ。日本人が「黃色い線の中」と表現(xiàn)するのは「自分を主とする」言語の視點だ。つまり言語の違いの背後には考え方の違いがある。

言語を?qū)Wぶにはまず文化の背景を?qū)Wぶことを基礎(chǔ)とせねばならない。しかし「文化」の概念は広い。歴史観や美學(xué)観、考え方などが含まれている。私はかつて、言語そのものの研究に集中していたが、現(xiàn)在では歴史家の視點から言語の発展を見るなど分野橫斷的な研究を主張している。

私は數(shù)十年間、中國語の古い時代から現(xiàn)代までの変化に取り組んできた。中國では19世紀(jì)以降、西洋の宣教師との頻繁な交流が発生した。そのことで、中國語には多くの「訳語」が登場した。例えば、中國語に「science(サイエンス)」という言葉はなかった。知識人は清朝末期になって初めてこの西洋の概念を知った。日本にも「サイエンス」の言葉と概念が伝わり、日本人が「科學(xué)」と訳すと中國でも「科學(xué)」の語が使われるようになった。「economy(エコノミー)」という言葉の訳語の「経済」も同様の経緯で日中雙方で使われるようになった。

また、古い中國語の「文學(xué)」の意味は現(xiàn)在と違っていた。論語にも見られる「文學(xué)」の語は、禮楽を主とする古典の學(xué)問を指す。19世紀(jì)以降には多くの新たな概念が中國語に取り込まれ、多くの新語が生まれ、中國語の現(xiàn)代化を後押しした。


中國語と外國語は相互に影響を與え合った

清朝末期に至ると、中國にはすでに多くの英語の教科書があったが、內(nèi)容にはおかしな點が多くあった。當(dāng)時の中國人が作った「おかしな英語」の代表例が「Long time no see」だ?!袱盲筏证辘扦埂工我猡恰⒂⑽姆à我?guī)範(fàn)に適合していないが、今でも多くの中國人がこの表現(xiàn)を使う。

このような表現(xiàn)が出現(xiàn)したきっかけは、19世紀(jì)に上海が開港するなどで中國と外國の通商が盛んになったことだ。中國人商人などは英文法をあまり理解せず、中國語の語順に従って英単語を並べた。このような規(guī)範(fàn)に合わない英語は「ピジン?イングリッシュ」などと呼ばれる?!窵ong time no see」は、中國語で「お久しぶりです」を意味する「好久不見(ハオ?ジウ?ブー?ジエン)」の語順通りに英単語を並べたものだ。歐米人も「Long time no see」の意味を知ると、この表現(xiàn)を使うようになった。

當(dāng)時の上海で発行されていた「申報」という新聞は1873年に「ピジン?イングリッシュ」に言及する詩を掲載した。詩は、「互いに商売をする者は楽しみを共有する知己だ。英語をきちんと勉強(qiáng)する必要はなく、『的里』、『溫』、『多』さえ知れば、値千金だ」と詠んだ。この詩にある「的里」、「溫」、「多」はそれぞれ英語の「there」、「one」、「two」だ。つまりこの詩は、中國人と外國人が商売をする場合、雙方とも利益を求めているので、彼我の関係は敵対ではなく友同士なのであり、言葉についても厳密さを求める必要はなく、基礎(chǔ)中の基礎(chǔ)を知っていれば十分に役立つと説いた。


この詩は當(dāng)時の上海における貿(mào)易の発展と盛況を十分に示しており、上海で東西の言語と文化の融合が発生した最も良い例証でもある。

また、現(xiàn)在は歐米の多くの國の人、特にイタリア人は乾杯の際などによく「チンチン!」と言うが、この言葉は中國語の「請、請」に由來する。このような例が多いのは、中國と西洋の言語が交流したことで、中國語も西洋の言語と社會に影響をもたらしたことを?qū)g証している。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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