2000年前の墓27基、山西省で発掘―中國

CRI online    2023年10月12日(木) 16時(shí)20分

拡大

山西省考古研究院は7日、省內(nèi)の長治市にある上韓墓地で27基の東周時(shí)代の墓が発掘され、その器物の組み合わせと形態(tài)は典型的な晉の文化と地域の土著文化の融合が反映されていると発表しました。

山西省考古研究院は7日、省內(nèi)の長治市にある上韓墓地で27基の東周時(shí)代(紀(jì)元前770年~同256年)の墓が発掘され、その器物の組み合わせと形態(tài)は典型的な晉(春秋時(shí)代の列國の一つ、紀(jì)元前11世紀(jì)~同376年)の文化と地域の土著文化の融合が反映されていると発表しました。

上韓墓地は長治市潞州區(qū)馬廠鎮(zhèn)上韓村の南から400メートル離れた漳沢湖東岸の臺地にあります。山西省文物考古部門は2019年6月から8月にかけて、同墓地で発見された墓に対して発掘調(diào)査をおこない、東周の墓27基を整理しました。これらはいずれも長方形の竪穴土坑墓で、年代的には春秋(紀(jì)元前770?同403年)末期から戦國(紀(jì)元前5世紀(jì)~同221年)中期まで続いています。

この27基の墓から、同墓地は春秋時(shí)代の末期から戦國時(shí)代の中期にかけて、比較的長きにわたって使用され続け、豊富な文化的な內(nèi)包がみられるということです。この発掘調(diào)査により、春秋戦國時(shí)代の墓の資料不足はある程度補(bǔ)充されたとみられています。

副葬器物から見ると、春秋末期から戦國初期の早い段階にかけて、形の奇抜な現(xiàn)地の文化とみられる陶器が一定の數(shù)を占めていたものの、戦國中期になるとこれらの要素が全く見られなくなりました。これは、地元の文化的要素が外部勢力の進(jìn)入につれて完全に同化されたことの表れとみられています。(提供/CRI

※本記事はニュース提供社の記事であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。すべてのコンテンツの著作権は、ニュース提供社に帰屬します。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜