『チャーハン』と『焼き飯』の違いとは?外食と家庭で異なるその理由 12-29 08:11
三星堆遺跡で3000年以上前の石蛇など玉器を発見(jiàn)―中國(guó) 12-29 08:10
【年末年始に遊びたい!2024年に話題を集めたゲーム3選】ファンの不安を一蹴した「ホラーゲームの金字塔」のリメイクから、「唯一の欠點(diǎn)」が改善されたワイヤーアクションまで 12-29 08:09
“砲”搭載の中國(guó)公船 常態(tài)化する領(lǐng)海侵入~尖閣諸島巡る中國(guó)のサラミスライス戦術(shù)~【報(bào)道の日2024】 12-29 08:07
【年末年始 高速道路渋滯予測(cè)】帰省渋滯情報(bào) 東北道~東名~中央道~九州道まで 混雑するのはどこ?綾瀬SIC付近で最長(zhǎng)20キロ【NEXCO東日本?中日本?西日本 12月30日~1月5日】 12-29 08:02
韓國(guó)?尹大統(tǒng)領(lǐng) なぜ戒厳に突き進(jìn)んだのか? ワケを探ると見(jiàn)えてきた「孤獨(dú)な権力者」の極地 12-29 08:02
アンバサダーとしてファンを魅了…ボミスマイルは永久に不滅【2024年“この1シーン”】 12-29 08:12
【痛快でユニークな時(shí)代劇】面白い登場(chǎng)人物が目白押しの作品を選ぶならこの4本 12-29 08:12
大谷翔平を彩る「何て素晴らしい1年」 妊娠報(bào)告…LA記者は“偉業(yè)リスト”を更新し感動(dòng) 12-29 08:05
元フランス代表も絶賛「素晴らしい才能」 高校→即プレミア逸材も…ロス世代の注目ストライカー【コラム】 12-29 07:41

中國(guó)起點(diǎn)に全世界に張り巡らされた「ティーロード」とは―世界遺産登録の推進(jìn)者が説明

中國(guó)新聞社    2023年10月30日(月) 10時(shí)30分

拡大

「ティーロード」を通って中國(guó)から世界に伝わった茶は、世界各地で現(xiàn)地の文化と融合した。寫真は「お茶大好き國(guó)」の一つであるロシアなどで使われるサモワールという名の給茶器。

(1 / 2 枚)

茶を愛(ài)する西洋人としては、英國(guó)人が有名だ。しかしロシア人も負(fù)けず劣らず茶を好む。英國(guó)人は海外で生産された茶葉を本國(guó)まで船で運(yùn)んだが、ロシア人は陸上輸送した。こうして中國(guó)を起點(diǎn)とする「ティーロード」が形成されていった。ティーロードはさらに米大陸にも伸びた。中華文化促進(jìn)會(huì)と湖北大學(xué)が共同で設(shè)立した「萬(wàn)里のティーロード研究院」の院長(zhǎng)などを務(wù)める黃伯権氏はこのほど中國(guó)新聞社の取材に応じて、ティーロードが形成された過(guò)程や世界文化遺産登録を目指す取り組みを紹介した。以下は黃院長(zhǎng)の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

その他の寫真

中國(guó)南部からサンクトペテルブルクまで1.4萬(wàn)キロの「ティーロード」

陸上のティーロードが形成された発端は、清代の康熙年間(1661-1722年)から、山西商人が長(zhǎng)江中流地域で生産された茶葉をモンゴル高原向けに大量販売したことだった。1728年に中ロ両國(guó)がキャフタ條約を締結(jié)したことで、ユーラシア內(nèi)陸を経由するティーロードが公認(rèn)されたことになる。

清朝政府は當(dāng)初、外國(guó)人商人が中國(guó)內(nèi)地で茶葉を調(diào)達(dá)することを認(rèn)めなかった。そこで、長(zhǎng)江中流からモンゴル地域までの茶葉取り扱いを支配していた山西商人が、中國(guó)國(guó)內(nèi)では中ロの茶貿(mào)易を獨(dú)占した。山西商人は福建省武夷山まで南下して茶葉を仕入れ、內(nèi)陸水系を利用して湖北省の樊城まで輸送し、さらに北上して河南、山西、張家口を経て、現(xiàn)在のウランバートル、さらにはロシアとの國(guó)境のキャフタまで運(yùn)んだ。そして茶葉はロシア領(lǐng)內(nèi)を橫斷した。中國(guó)の茶葉生産地からロシア首都のサンクトペテルブルクまでは、1萬(wàn)4000キロもの長(zhǎng)大な道のりだ。

清朝末期には「中ロ天津條約」や「中ロ北京條約」などの不平等條約に伴い、ロシア商人は中國(guó)大陸部で中ロ茶葉貿(mào)易に參與する特権を獲得した。ロシア商人は1860年代から中國(guó)南部の茶の生産地に工場(chǎng)を設(shè)立して、茶を加工して輸出した。長(zhǎng)江沿岸の漢口が開(kāi)港すると、発達(dá)した?jī)?nèi)陸航路を利用して長(zhǎng)江中流の各茶で生産された茶葉を集めた。漢口は中國(guó)最大の茶葉輸出集散地になった。

しかし20世紀(jì)初頭になると、シベリア鉄道の開(kāi)通やロシアによる茶商人への重稅、第一次世界大戦の勃発などにより、中國(guó)とロシアを結(jié)ぶ「ティーロード」は衰退した。

ロシアや米國(guó)、行く先々で現(xiàn)地化した茶文化

中國(guó)で飲み物としての茶の歴史は極めて古い。具體的に始まった時(shí)期が特定できないほどだが、漢代には長(zhǎng)江流域で喫茶の風(fēng)習(xí)が広まっていった。唐代以降には中國(guó)北部にも広まった。宋代になって、飲茶の習(xí)慣は絶えず北方の游牧民族に受け入れられ、次第に彼らの「命の飲み物」になっていった。

西洋人は最初、茶を健康飲料として受け入れた。最初に伝わったのは17世紀(jì)のオランダだ。茶は上流階級(jí)のおしゃれな飲み物として短期間で定著した。その後、茶は英國(guó)に伝わり、ステュアート王朝期(1371-1714年)には喫茶が宮廷生活の一部になった。喫茶は社交手段にもなり、アフタヌーンティーの習(xí)慣が生まれた。ロシアでは18世紀(jì)末には喫茶の風(fēng)習(xí)が社會(huì)の各階層に及んでいた。茶葉はもはや生活必需品だった。ロシア人は茶に砂糖、レモン、牛乳、牛乳を熱した際に表面にできる薄皮、ハーブなどさまざまな食材を入れて獨(dú)特なロシアンティーが形成された。

喫茶は17世紀(jì)半ばにはヨーロッパからの移民に伴って米大陸へと広まった。18世紀(jì)には北米で牛乳やチーズを茶葉に浸透させる風(fēng)習(xí)が生まれた。また、米國(guó)では獨(dú)特のアイスティー文化が生まれた。中國(guó)の喫茶の風(fēng)習(xí)は世界各地に伝わり、現(xiàn)地の生活習(xí)慣や、さらには文學(xué)や蕓術(shù)、禮儀制度に溶け込んだ。喫茶の風(fēng)習(xí)には、西洋人の生活の品位を大幅に向上させる効果もあった。


茶は人々を豊かにし、心と心を結(jié)び付けた

「萬(wàn)里のティーロード」の恩恵を最初に受けたのは生産地だった。まず、茶農(nóng)家の収入が増えた。また、茶葉の商品化には摘み取り、加工、輸送など多くの労働力を必要とした。つまり、多くの人が仕事を得た。さらに、茶を扱うことで大きな企業(yè)體や商業(yè)の人材が発生した。

「萬(wàn)里のティーロード」の形成は沿線の発展と繁栄にもつながった?,F(xiàn)在の江西省や湖南省では、200以上の都市や街が茶の輸送販売で繁栄した。

さらに「萬(wàn)里のティーロード」を利用して、中國(guó)の他の物産もヨーロッパに運(yùn)ばれ、ヨーロッパの物産、特に毛皮、薬材、工業(yè)品が絶えず中國(guó)に運(yùn)ばれた。つまり貿(mào)易全體が活性化した。

「萬(wàn)里のティーロード」が形成されたのは、西歐で第一次産業(yè)革命が完成した時(shí)期だった?!溉f(wàn)里のティーロード」は中國(guó)が世界の貿(mào)易システムに加わることを促進(jìn)した。つまり中國(guó)の近代化を推進(jìn)する作用もあった。

「萬(wàn)里のティーロード」は、輸送などの擔(dān)い手ではなくなったが、文化遺産として今も機(jī)能している。沿道に殘っている古茶園、加工工場(chǎng)、古道、橋、ふ頭、商店群、記念的建築、および多くの無(wú)形文化遺産は各地の文化産業(yè)と観光業(yè)を発展させる潛在的資源資源であり、中國(guó)?モンゴル?ロシア経済回廊の構(gòu)築や「一帯一路」建設(shè)の推進(jìn)にとって重要な意義を持つ。

茶には経済効果だけでなく、人と人の心を結(jié)びつける作用もある。茶には健康、環(huán)境保護(hù)、天然などの特性がある。また、茶は飲む場(chǎng)所を選ばない。仕事場(chǎng)でも街頭でも、家でも旅先でも茶を飲み、さらには語(yǔ)り合うことができる。茶は昔から今まで、庶民の生活でも上流階級(jí)の社交でも重要な交流媒體と見(jiàn)なされてきた。茶で客をもてなすことは民間の付き合いでの普遍的な禮儀作法になった。

最近になり、茶にまつわる美談が一つ追加された。中國(guó)にとって2020年前半は、新型コロナウイルス感染癥の発生で最も苦しい時(shí)期だった。よく知られているように、最も深刻だったのは湖北省武漢市だった。モンゴルはこの時(shí)期に、中國(guó)に羊を3萬(wàn)頭を寄贈(zèng)した。中國(guó)は同年半ばには、最も苦しい狀態(tài)を脫出したが、こんどはモンゴルで患者が増えた。すると湖北省はモンゴルに対して、まとまった量の感染癥対策用物資と、茶を寄贈(zèng)した。

モンゴル民族の人々が常用する茶葉は、輸送に便利なよう茶葉を直方體に固めた「レンガ茶」だ。湖北省はモンゴル人が利用するレンガ茶の主要な産地だ。湖北省がモンゴルに送ったレンガ茶は1萬(wàn)5000個(gè)に上った。

中國(guó)など3カ國(guó)が「萬(wàn)里のティーロード」世界遺産登録を推進(jìn)

「萬(wàn)里のティーロード」は沿線の経済や社會(huì)の発展と歴史の変遷を目撃し、中國(guó)と西洋の思想や文化交流と文明の相互參照を目撃した。今日、私たちはこの突出した普遍的価値を持つ文化路線の遺産を世界に改めて示す必要がある。

2012年6月には「萬(wàn)里のティーロード文化遺産保護(hù)懇談會(huì)」が設(shè)立され、「萬(wàn)里のティーロード」のユネスコ世界文化遺産登録への運(yùn)動(dòng)が始まった。そして「萬(wàn)里のティーロード研究院」が設(shè)立され、関連する國(guó)際學(xué)術(shù)シンポジウムや世界遺産登録巡回展、自動(dòng)車ラリーなどのイベントが開(kāi)催された。これらはすべて世界遺産登録の実現(xiàn)を支援するものだ。

「萬(wàn)里のティーロード」の世界文化遺産への登録への運(yùn)動(dòng)は、中國(guó)とモンゴル、ロシアが共同で実施している。運(yùn)動(dòng)を通して3カ國(guó)の友情と相互信頼が増進(jìn)された。世界文化遺産への登録に成功すれば中國(guó)の茶文化の影響力がさらに高まり、茶文化を通じて信頼でき、愛(ài)すべき、尊敬すべき中國(guó)のイメージを世界に広めることができるはずだ。

中國(guó)國(guó)內(nèi)では、「萬(wàn)里のティーロード」の沿線9省の茶文化、茶の科學(xué)技術(shù)、茶産業(yè)の統(tǒng)一的かつ協(xié)調(diào)的な発展が促進(jìn)され、中國(guó)の茶産業(yè)の世界進(jìn)出をさらに推し進(jìn)めることができる。

「萬(wàn)里のティーロード」沿線には、武夷山、廬山、長(zhǎng)城など、多くの観光地や歴史的遺構(gòu)がある。世界遺産に登録されれば知名度がさらに向上し、沿線地域の経済回復(fù)と文化の旅の融合をさらに推し進(jìn)めることになるはずだ。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜