拡大
「帝國の慰安婦」の著者、樸裕河?世宗大學(xué)名譽(yù)教授が韓國紙に寄稿?!疙n國の左派も右派も自分たちの既存の主張に合わせて誤読した」と訴えた。
舊日本軍の慰安婦問題を扱った著書「帝國の慰安婦」の記述をめぐって名譽(yù)毀損(きそん)の罪に問われ、韓國大法院(最高裁)で無罪の趣旨の破棄差し戻し判決を受けた樸裕河(パク?ユハ)世宗大學(xué)名譽(yù)教授が韓國紙に寄稿?!疙n國の左派も右派も自分たちの既存の主張に合わせて誤読した」と訴えた。
さらに樸氏は「慰安婦問題はしばしば韓日問題としか考えられていないが、実は冷戦體制とも深く関連している」と指摘。韓國內(nèi)で事態(tài)が混迷した背景には北朝鮮の思惑があった、との見方を示した。
著書は2013年に韓國で、14年に日本で出版された?!概f日本軍による強(qiáng)制連行」を元慰安婦の支援団體が強(qiáng)調(diào)するのは、実態(tài)と隔たりがあるとして再考を促すなどの內(nèi)容で、元慰安婦らが14年に刑事告訴し、検察が在宅起訴した。
一審は無罪だったが、二審は「多くの慰安婦で強(qiáng)制動(dòng)員はなかったと読者が受け止める可能性がある」などとして有罪判決となり、樸氏と検察の雙方が上告していた。
朝鮮日?qǐng)?bào)への寄稿で樸氏は「帝國の慰安婦」執(zhí)筆の動(dòng)機(jī)について「1990年代初頭、日本留學(xué)の最後のころ、慰安婦問題が初めて提起された。帰國後、ハルモニ(おばさん)たちの話も聞き、証言集も読む中、私は世間で慰安婦問題が消費(fèi)される方式に少しずつ疑問を持つようになった」と説明?!疙n國國內(nèi)に少女像がつくられた直後から、私は慰安婦問題についてもう一度きちんと書かなければと考えた」と振り返った。
「帝國の慰安婦」の出版後は「両極端を批判する私の著書を、その両極端は自分たちの既存の主張に合わせて誤読した。右派の一部は私が自分たちと同じく『慰安婦は売春婦』だと同意したとして歓迎し、左派の一部もまた、慰安婦を売春婦と非難したとして私を攻撃した」と紹介。左右両派に苦言を呈した。
大法院の判決文は「強(qiáng)制連行否定、自発的売春、積極協(xié)力を語るために當(dāng)該表現(xiàn)を使用したわけではないと明確に記してくれている」と評(píng)価?!附窕丐危u(yù)毀損)事件は慰安婦のハルモニたちと私の戦いではなく、あのような周囲の人々と私の戦いだった。そして、あの周囲の人々の真の不満は自分たちとは『違う解決方法』が模索され、受け入れられるところにあった」と述べた。
一方で樸氏は「慰安婦問題が始まった1990年代初頭、北朝鮮は慰安婦問題を日本による植民地支配に対する『違法賠償』を受けられる好機(jī)と考えた」と言及。當(dāng)時(shí)、挺対協(xié)(韓國挺身隊(duì)問題対策協(xié)議會(huì))の幹事を務(wù)めていた尹美香(ユン?ミヒャン)氏や慰安婦問題に深く関與した法律家らもまた、北朝鮮の対日交渉力を意識(shí)した。慰安婦問題で補(bǔ)償ではなく『賠償』を受けようと思ったら『違法』でなければならず、まさにそれ故に、どこまでも『國家による強(qiáng)制連行』であるべき構(gòu)造がそこから始まり、定著した」と解説した。
北朝鮮は2002年の日朝平壌宣言でその主張を引っ込め、経済的補(bǔ)償を受ける方式へと転換したが、樸氏は「その後も、尹氏ら周辺の関係者は『違法賠償、強(qiáng)制連行』の主張を続けた。この人々が樸槿恵(パク?クネ)政権時(shí)代の韓日合意に決死反対した理由でもある」と論じた。(編集/日向)
Record China
2023/11/9
Record Korea
2023/11/9
Record China
2023/11/9
Record Korea
2023/11/8
華流
2023/11/9
Record China
2023/11/8
ピックアップ
we`re
RecordChina
この記事のコメントを見る