<日本人が見た新疆>歴史と文化に觸れ、貴重な経験に

Record China    2023年12月7日(木) 14時(shí)20分

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中國(guó)駐大阪総領(lǐng)事館が企畫した新疆ツアー第二陣が9月に行われた。ツアーに參加した平山邦孝さんは、新疆ウイグル自治區(qū)で見たこと、感じたことをつづった。寫真はカシュガル。

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中國(guó)駐大阪総領(lǐng)事館が企畫した新疆ツアー第二陣が9月に行われ、參加者はカシュガル古城、エイティガールモスク、カシュガル市老城區(qū)保護(hù)総合治理紀(jì)念館などを訪れた。

その他の寫真

ツアーに參加した平山邦孝さんは、新疆ウイグル自治區(qū)で見たこと、感じたことを以下のようにつづった。

今回、ツアーに參加して4つの目標(biāo)を持って臨みました。1つ目に新疆について日本のメディアが流しているフェイクの実態(tài)をこの目でしっかりと確認(rèn)すること、2つ目に新疆の歴史と文化に觸れ楽しむこと、3つ目にリアルタイムでX(舊ツイッター)などを通して伝えていくこと、4つ目に參加された方々としっかりと交流し意見交換をしながら今後の日中交流の関わり方を自分なりに見出していくことです。

正直、3つ目のリアルタイムの情報(bào)発信は達(dá)成できず、第1陣の方たちもなかなか大変だっただろうなと參加して理解できました。とにかく、新疆は想像をはるかに超える広さであり、9月といえども気溫は高く、移動(dòng)するだけで疲れてしまうこと、また、遅めの夕飯を取り、これまた個(gè)性豊かな參加者が食事をしながらお互いを知り、お互いの意見を交流し、お酒が入ってさらに激論を交わしたり、あっという間にその日が終わってしまいました。なかなか3つ目の目標(biāo)は達(dá)成できませんでしたが、1つ目と2つ目、4つ目の目標(biāo)では非常に素晴らしい成果がありました。

三兄弟結(jié)成

まずは一つ目。民族弾圧のうそ、news23が伝えた特警はいったいどこ?

ウルムチからカシュガルの日常の中で、新疆の人々の生き生きとした暮らしを動(dòng)畫に撮り、新疆の現(xiàn)在の姿を収めてきましたが、news23が報(bào)じた至る所で警察が厳重な警戒態(tài)勢(shì)という様子は全く見られませんでした。また、ウルムチでもカシュガルでも若いツアー參加者は毎晩夜市に繰り出し、「安全でにぎやかでとても楽しかった」「どこに民族弾圧や厳重な警戒があるのか」と感想を述べていました。news23の報(bào)道との違いにあまりにも違和感を覚えました。

數(shù)えきれないほどモスクがある新疆!ウイグル語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)、英語(yǔ)を?qū)Wぶ子供たちはすごい

8日目にカシュガルにある新疆最大のイスラム寺院エイティガールモスクで中國(guó)イスラム教協(xié)會(huì)副會(huì)長(zhǎng)であり全人代の代表である方にガイドしていただき、寺院の方はウイグル語(yǔ)で話され、次にウイグル語(yǔ)を中國(guó)語(yǔ)に、また次に中國(guó)語(yǔ)を日本語(yǔ)にと3人によって説明を受けました。副會(huì)長(zhǎng)は、中國(guó)政府がいかに少數(shù)民族とイスラム教を守ってくれたか、例えば500年以上前に作られた寺院の修復(fù)やインフラの整備、イスラム教指導(dǎo)者の會(huì)議などにおける交通費(fèi)や宿泊費(fèi)などもすべて出していただいていることに感謝していると話していました。

news23では閉鎖された1つのモスクをあたかも全體のごとく宗教弾圧があるかのように報(bào)道していたため、「モスクの數(shù)は今どのぐらいあるのか」と質(zhì)問しました。以前聞いた話では8000ぐらいでしたが、副會(huì)長(zhǎng)からは「そんな數(shù)ではない。1萬(wàn)以上あり、數(shù)えきれない」との返答でした。

その後、カシュガル市第11小學(xué)校を訪問し、とてもかわいい小朋友たちのウイグルダンスと歌のお出迎えにとても感動(dòng)。そして、ウイグル語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)、英語(yǔ)、數(shù)學(xué)、音楽、體育の授業(yè)風(fēng)景を見學(xué)し、子供たちが生き生きと楽しく學(xué)ぶ姿を拝見しました。news23の言論統(tǒng)制って一體どこにあるのでしょうか。すぐにばれてしまううそをなぜ流すのでしょう。

新疆綿の強(qiáng)制労働?ウイグル語(yǔ)が使用できないといううそ

6日目、アクスの綿花畑に行き、アクス農(nóng)民組合長(zhǎng)がウイグル語(yǔ)で解説し、ウイグル語(yǔ)から中國(guó)語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)から日本語(yǔ)の通訳を聞き、ウイグル語(yǔ)禁止といううその実態(tài)をまずは確認(rèn)。そして、新疆綿花について、今や90%以上が機(jī)械化されて時(shí)間的なゆとりができ、他産業(yè)の発展をもたらし、経済的に豊かになったという話をドローンによる農(nóng)薬散布などを一部紹介していただきながら聞きました。このエリアだけで303ムー(20ha=2萬(wàn)平方メートル)、他のエリアを含めると6405ムー(427ha=427萬(wàn)平方メートル)と驚くほど広大な面積です。なるほど、ドローンやトラクターの強(qiáng)制労働は必須ですね(笑)。

その後、上場(chǎng)企業(yè)の華孚紡績(jī)工場(chǎng)に行き、社長(zhǎng)自らガイドしていただきました。もともとは8割が海外向けで2割が國(guó)內(nèi)だったが、米國(guó)の経済制裁により大打撃を受けたものの、今は國(guó)內(nèi)8割、ASEANなど海外2割に逆転し、自分たちは紡績(jī)業(yè)のファーウェイだと言っておられたが、見事にファーウェイと同様に乗り越えている姿は素晴らしいと思いました。従業(yè)員は5000人で、24時(shí)間稼働3交代制で殘業(yè)なし、全社員が自家用車を持ち、駐車場(chǎng)が足りなくなっているとのこと。撤退した海外企業(yè)の中には日本のユニクロも含まれており、壯行會(huì)の時(shí)に話した通り、米國(guó)による理不盡な経済制裁に従わざるを得なかった柳井會(huì)長(zhǎng)の思いを某大學(xué)教授が直接生の聲で聞いており、両名の怒り心頭の気持ちを改めて思い出しました。なんせ経済制裁の理由がそもそもめちゃくちゃで、NPO法人ヒューマンライツ?ナウの役員いわく「各企業(yè)が強(qiáng)制労働の有無(wú)を調(diào)べても最終的にはその判斷ができないだろう。中國(guó)共産黨支配下の中國(guó)だからだ。なので、最終的にはいかなる調(diào)査結(jié)果が出ようと企業(yè)は中國(guó)から撤退してもらいたい」と。

しかし、なぜアメリカという國(guó)はこれほど目先の利益のためにやがては首を絞めるようなばかな真似をするのかとつくづくあきれ果ててしまいます。歐米流民主主義で次期選挙に勝つためには何でも利用してしまう。結(jié)果的に、中國(guó)という世界の工場(chǎng)だった國(guó)が今や世界最大の巨大市場(chǎng)となり、制裁により國(guó)內(nèi)市場(chǎng)を中國(guó)自身がどんどん開拓し、さらには海外ブランドも不要となって自分たちのブランド商品を次々に創(chuàng)り出していけば、これまでの歐米諸國(guó)の高級(jí)ブランドはたちまち急速な衰退を余儀なくされるのは必然で、すでにSHEINなどネット通販だけの中國(guó)ブランドが世界中の若者に広まり、先進(jìn)諸國(guó)の経済格差によりさらに広がっていっているというのに。

地震の多いカシュガルなどの都市整備、砂漠緑化、延々と続く風(fēng)力発電の風(fēng)車にビックリ!

8日目、老城改造博物館を訪れ、カシュガルでは地震も多く、洪水が起きれば簡(jiǎn)単に崩れ、また不衛(wèi)生だった住環(huán)境を中國(guó)政府の支援で見違えるほどきれいな住環(huán)境と都市に生まれ変わっている姿を知り、いかに少數(shù)民族を大切にしているかを?qū)g感。新疆の西の果てでありパキスタンに近く、思わず遠(yuǎn)くに來(lái)たもんだと思いつつ、一帯一路の拠點(diǎn)として産業(yè)も物流もどんどん発展し、カシュガル古城などの観光地には観光客があふれ、人口も増加し、実に活気に満ちた都市の姿に正直驚かされました。私の嫁さんの弟が仕事で時(shí)々カシュガルに行っており、果物や食べ物がおいしくとても良いところだとは聞いていましたが納得です。

新疆は石炭の産地でもあり、火力発電に頼って空気が悪いというのはもはや過(guò)去の話。3日目にトルファンへ向かうバスの車窓から延々と30分以上続く膨大な數(shù)の風(fēng)力発電の風(fēng)車に思わず驚愕してしまいました。ガイドのヌルさんの説明では、確か1990年代にデンマークの技師がわずか數(shù)本から始めた風(fēng)力発電が効率もよく、その後どんどん増えて今や中國(guó)では、水力発電に加えて風(fēng)力や太陽(yáng)光の導(dǎo)入がこの10年間で急速に進(jìn)み、2022年には風(fēng)力発電の年間発電電力量の割合が9.3%、太陽(yáng)光発電が4.7%で原発と同レベルとなり、水力も含めた自然エネルギーの全発電電力量に対する割合は30.8%に達(dá)しているというのにはなるほどと改めて中國(guó)の脫炭素の取り組みの本気度を目の當(dāng)たりにしました。

同時(shí)に忘れてはならないのが、4日目に列車からの車窓から見た緑の景色です。今回は緑化に関する博物館などには立ち寄らなかったものの、天山山脈の南側(cè)でまさにタクラマカン砂漠のエリアを走る外の景色が緑にあふれている姿によくもこんな砂漠地帯を緑化してきたものだと改めて驚きました。第1陣の參加者が緑化の話題を取り上げていたことを思い出し、今回のツアー參加者の井出先生から資料を教えてほしいとのことで、私も改めて緑化に関する資料を調(diào)べて先生に伝えました。NPO法人緑の地球ネットワークなど日本人が中國(guó)黃土高原で緑化活動(dòng)を続けていることは本當(dāng)に素晴らしい日中交流だと心から尊敬し、微力ながら応援していきます。

反極端主義反対展覧センターと人民中國(guó)のインタビュー

2日目に新疆反テロ反極端主義展覧センターを訪問。展示センターの方と旅行社の楊さんの通訳で受けた説明の概要は以下の通りでした。

一つ目のエリアで新疆の歴史や地理の説明を受けました。新疆は中國(guó)の西北端、中央アジアの中心部に位置し、面積168萬(wàn)平方メートル。新疆は8カ國(guó)と隣接し、昔から中國(guó)の56民族中47民族が暮らす多民族のエリアであり、古來(lái)から中國(guó)の中原地域と密接につながり、秦?漢が統(tǒng)一して以降、新疆は中國(guó)の一部として多民族多文化のエリアとして発展し、1884年清朝時(shí)代に今のウルムチに地方政府が置かれ、1956年に新中國(guó)で新疆ウイグル自治區(qū)が正式に今日に至っている。

次のエリアでは新疆の多民族が共に暮らしている狀況を古代の歴史的遺跡から説明を受け、各民族の文化の融合の姿を見ることができる。新疆文化は中國(guó)文化の一部として擔(dān)ってきた。中國(guó)文化と西洋文化の融合地點(diǎn)として新疆はとても重要な位置にあり、じゅうたんなどの織物や民族舞踴に見られる12民族の歴史物語(yǔ)、多民族が共に豊かな暮らしをしてきた具體的な生活の場(chǎng)面の解説を受け、昔から異なる多民族が互いを尊重しあってきた歴史を知ることができた。

3つ目のエリアはテロ反対と極端主義を除去する展示コーナー。こうした多民族の共存共栄に対して、東トルキスタン武裝勢(shì)力が獨(dú)立と稱してテロ事件を起こし始めた。一番際立ったのが、東トルキスタン人民革命黨が新疆12の地域で22件のテロを起こし、カシュガルで起きたテロ事件でテロ思想の拠點(diǎn)となった。1958年、これがその後のテロ思想を育ててきた。特に米國(guó)の9.11以降、エスカレートしていった。國(guó)內(nèi)外のテロ組織が結(jié)びついて動(dòng)き、殘酷な行為が次々と引き起こされた。

同センターの説明によると、中國(guó)政府とユネスコが協(xié)力し、テロ?yè)錅绀葮O端主義をなくすための法整備として中華人民共和國(guó)テロ反対主義法、安全法、ウイグル自治區(qū)の法を整備し、地域安定の基礎(chǔ)が固められた。新疆の人々がまとまって力を合わせ、多民族の人たちと生活をしている地域を守る、平和を守る、安定を守ることで今は幸せな生活ができているといいます。

私がずっと熱心に展示センターの解説を録畫していたため、ツアーに同行していた人民中國(guó)の金記者からインタビューを受けるというありがたい機(jī)會(huì)を得ることができました。そこで私が伝えたかったことは「新疆で起きたすさまじいテロの実態(tài)を知らずして新疆問題を語(yǔ)ってはならないし、真実をもっと日本人に知ってもらう必要があること」「そのテロとの闘いで中國(guó)は56民族14億人を抱え、昔から多民族國(guó)家として5000年の歴史を持ち、米國(guó)のような反対する者に対して戦爭(zhēng)や暴力で抑え込むようなことをせず、多くの犠牲を払いながら地道な努力の中で克服してきたこと」「今や以前の新疆のように多民族が仲良く平和で安定した生活を送り、まさに人類運(yùn)命共同體の一帯一路の拠點(diǎn)としてどんどん発展し豊かになっている現(xiàn)在の新疆をもっと知ってもらうこと」ですが、突然のインタビューに緊張して最初の2點(diǎn)しかお話しできなかったのが殘念です。

2日目には米蘭の美女のミイラで有名な新疆ウイグル自治區(qū)博物館を見學(xué)し、30年前に行ったエジプト以來(lái)のミイラに感動(dòng)。新疆地區(qū)の古代の生活の狀況がこれほど具體的に分かっていることにやはり考古學(xué)者の業(yè)績(jī)はすごいと思いつつ、私としては美女と同時(shí)に、唐の時(shí)代に新疆を守っていた將軍のミイラを見て、將軍といえども大変だったんだとしみじみ感じました。5日目に訪れたクズルガハ烽火臺(tái)はその延長(zhǎng)が萬(wàn)里の長(zhǎng)城で、紀(jì)元前60年ごろに漢の時(shí)代に作られ、すでに漢の時(shí)代には新疆は中國(guó)の一部だったということを改めて実感。その新疆が2日目に見學(xué)した繊泰大廈ウイグル経済開発區(qū)展示センターの通り、今やどんどん緑化が進(jìn)み、交通インフラも整い、一帯一路の拠點(diǎn)として目覚ましい発展を遂げていることも目の當(dāng)たりにしました。

次に2つ目の目標(biāo)です。まだ小學(xué)生低學(xué)年だったころに東映マンガ祭りで見た西遊記と高校生の時(shí)に見たNHKのシルクロード、いつかは行ってみたいと思っていた新疆に來(lái)られたこと、これは本當(dāng)に感動(dòng)モノでした。三蔵法師が訪れた火焔山、高昌古城、そしてベゼクリク千仏洞や交河古城、キジル千仏洞など映像で見たものを?qū)g際にこの目で見て肌で感じられたことは一生の思い出になりました。

ブドウ棚の下で新疆のフルーツを食べながら羊肉料理などを楽しむ、これも憧れていた光景でした。このことを嫁さんに話したところ、今は青島でもブドウ棚の下で新疆フルーツと新疆料理を食べることができるレストランがあるよと言われ、なるほど今や広大な中國(guó)でも高速や高鉄など物流インフラが整備されているんだと納得。青島でも新疆料理を食べに行きたいですね。

また、今回の初挑戦は富士山よりも高いところに行ったこと、標(biāo)高3600メートルの美しいカラクリ湖と遠(yuǎn)方に広がる雪をかぶった山々の景色には感激しました。こんな高い場(chǎng)所にもすごい數(shù)の観光客が訪れていたのも驚きでした。ここで私はやっては駄目だと言われていたことをやむを得ずやってしまいました。ツアー參加者の野田さんがご高齢にもかかわらず、トイレに急がれ、どんどん誤った道を早歩きで進(jìn)まれているのを見て、私は走って追いかけてしまい、無(wú)事に追いついたものの走った後の數(shù)分間はめまいと息切れを経験。やはり標(biāo)高の高いところでは走っては駄目だとよく分かりました。

殘念だったのはカシュガルのテーマパークのようなカシュガル古城のオープニングパレードがすごい數(shù)の人で全く見られなかったこと、ラクダに乗れなかったこと。新疆は本當(dāng)に広く、北疆方面などまだまだ行けていない所が多いので、機(jī)會(huì)があればまた行ってみたいものです。

目標(biāo)の4つ目はツアー參加者と交流を深め、今後の日中交流に役立てることですが、壯行會(huì)で話す機(jī)會(huì)も頂いたおかげで、その時(shí)に紹介した本についてツアー參加者の方からたくさん聞かれました。また、ある方は早速アマゾンのkindleで本をダウンロードして読まれ、米國(guó)によるフェイクの実態(tài)に驚いておられました。參加者一人一人が実にユニークな方が多く、中國(guó)大好きという多くの友人を作れたことは本當(dāng)に良かったです。また、大學(xué)生當(dāng)時(shí)に意見対立で離ればなれになっていた井出先生と坂本さんがこのツアーで56年ぶりに再會(huì)したという感動(dòng)的な話もありました。殘念ながら56年後も意見は対立したままのようでした。その後も、マルクス経済學(xué)や社會(huì)主義について激論を交わされ、少しばかり大変でした。その井出先生も熱心に私のお貸ししたウイグルの本を旅行中に読まれ、その後、井出先生には新疆ツアー第1陣の方が教えてくれた中國(guó)の緑化に関する情報(bào)を提供させていただきました。

井出先生とウイグルの子供たち「初めて日本人を見た!」

いつもは議論好きな井出先生の別の一面を8日目の晩に目撃。ウルムチでのツアー最後の夕食でウイグルの方の結(jié)婚披露宴と遭遇し、子供もたくさん來(lái)ていてとてもにぎやかでした。食事を終え、レストランの外へ出ると、井出先生がウイグルの子供たちと笑顔で楽しそうに會(huì)話をしていました。まるでご自身のお孫さんと過(guò)ごしているようで何とも言えない気持ちになり、私も會(huì)話に參加。するとウイグルの子供たちに中國(guó)語(yǔ)で「あなたたちは日本人なの?」と聞かれ、「そうだよ」と答えると「初めて日本人に會(huì)った!」と大はしゃぎし、うれしいことに近くにいた私たちツアー參加者一人一人にあめをくれたのです。これには感激、本當(dāng)に素?cái)长仕激こ訾摔胜辘蓼筏俊?/p>

今回は新疆についてのフェイクの実態(tài)、そして風(fēng)光明媚な景色、一帯一路の拠點(diǎn)として発展している様子を知ることができ、とても貴重なツアーに參加できて本當(dāng)に良かったと思います。もっともっと多くの人にこの新疆ツアーにぜひとも參加してほしいものです。

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