北朝鮮の停電の記憶、今も思い出すささいなやりとり

北岡 裕    2023年11月23日(木) 21時(shí)0分

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ある時(shí)期まで、在日コリアンの方と訪朝について話すと、よく停電の話題になった。寫(xiě)真は平壌。

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「停電。停電ですよ――」。在日コリアン2世のヤン?ヨンヒ監(jiān)督の映畫(huà)「愛(ài)しきソナ」。北朝鮮?朝鮮民主主義人民共和國(guó)に帰國(guó)した3人の兄とその家族を描いたドキュメンタリー映畫(huà)は、停電で真っ暗な中で響くヤン監(jiān)督のめい、ソナの無(wú)邪気なアナウンスと共に終わる。

その他の寫(xiě)真

ある時(shí)期まで、在日コリアンの方と訪朝について話すと、よく停電の話題になった。私が初めて訪朝したのは2004年2月?!袱饯雾暏送k姢悉ⅳ辘蓼筏郡??」とよく在日コリアンの方から聲を潛めて聞かれた?!袱胜盲郡扦埂工却黏à毪?、どこかホッとした様子で「私が行った頃はよくありました」とぽつりぽつりと電力事情の大変さを話してくれた。

実際のところ2004年の時(shí)點(diǎn)でほぼ停電はなかった。ボーリング場(chǎng)で瞬間的に一度あっただけ。ただし暖房はあまり効かず、厚手のセーターとダウンジャケットを著たまま食事をしたこともあった。

衛(wèi)星科學(xué)者住宅地區(qū)の住宅にあった中國(guó)製とみられる12V充電器(2015年撮影)

「これから夜景を見(jiàn)に行きませんか」。その時(shí)も仕事熱心な、これは決して皮肉ではなく私たち日本からの観光客を楽しませるために、面白い企畫(huà)の提案に熱心な北朝鮮の案內(nèi)員が日程外のプランを提案してくれた。

夜9時(shí)ごろ、私たちの乗ったマイクロバスはホテルを出発し平壌の街を走った。ちょうど2月16日、金正日総書(shū)記の誕生日光明星節(jié)の頃で「普段よりも明るくライトアップされている」というのだが、それはあくまで北朝鮮の感覚で、正直暗い。そして街燈もほとんどなかった。さらに、真っ黒な服裝の市民が突然橫斷する。何度か急ブレーキで悲鳴が上がった。

少なくとも平壌市內(nèi)に限定すれば、私たち外國(guó)人がいるエリアで停電はなかった。ただし毎晩0時(shí)過(guò)ぎまで遊んでいるとシャワーのお湯が出なくなった。毎晩反省するのだが、やめられなかった。

そして平壌の空は澄んでいる。北京を経て平壌に入るのだが、実に対照的だった。スモッグにかすむ北京とは違い、平壌は空の色が抜けるように青く、寫(xiě)真でも空の青さが際立つ。2015年に訪朝した時(shí)のこと。夜にその日の報(bào)告書(shū)をまとめて一息つくと、ふと夜空を見(jiàn)たくなり、ホテルの玄関に向かった。玄関に立つポーターが「申し訳ないですが外出は…」と言うので、「僕は星を見(jiàn)に來(lái)たのだ」と答えると、ツボにはまったのか大笑いされた。それを聞いたもう1人のポーターも奧から出てきたので、火を借りて3人でたばこを吸った。

「やっぱり平壌の夜空はきれいだよ。東京なんて星が全然見(jiàn)えないよ」と言うと、ポーターは「そうですか」とまんざらでもない様子?!袱扦庑扦夏型郡且?jiàn)るものじゃないよね」と言うとまた大笑いして、もう1人のポーターが「そう言われりゃ確かにわが國(guó)、星きれいだわ」と初めて気づいたかのようにつぶやく。男3人で星を眺めながら話す?!甘耸陇洗髩??」「夜勤はちょっと疲れますね」「ガム食べるかい?これカフェイン入っているから、ホントに眠い時(shí)に食べなよ」「ありがとうございます」「けど全部食べるなよ。散歩(デートのこと)の時(shí)のために殘しておくんだ」と言うとまた大笑いする?!袱长蜗壬丹蕖⒚姘走^(guò)ぎる」というつぶやきは靜かすぎる平壌の夜では大きく、私にも聞こえていた。

半年後に訪朝した際、ポーターの一人と再會(huì)したのだが、時(shí)間の制約もあり話せなかった。最後に私たちの車(chē)がホテルを出る直前、目が合ったポーターが持ち場(chǎng)を離れて駆け足でやって來(lái)た。そして車(chē)の橫で「先生また來(lái)てくださいね!」と満面の笑みで手を振ってくれた。一緒にたばこを吸いながら夜空を見(jiàn)た奇妙な日本人のことをちゃんと覚えていてくれたのだ。

平壌ではここ數(shù)年、毎年のように年越しの野外公演が行われていて、YouTubeでも見(jiàn)ることができる。光のショーは年々派手さを増し、かつてCNNで「世界で最も醜い建物」1位に選ばれた柳京ホテルに、プロジェクションマッピングまで展開(kāi)されるようになった。

一方で、地方都市に目を向けると、集合住宅の窓に太陽(yáng)光パネルが並んでいる。その點(diǎn)を指摘すると、案內(nèi)員は「人民が國(guó)の負(fù)擔(dān)を減らすために設(shè)置しています」と言うが、実際は特に地方において電力事情が今も芳しくないために、人民が自衛(wèi)的に設(shè)置したと考えるのが自然だろう。

太陽(yáng)光パネルの並ぶ沙里院市の集合住宅(2015年撮影)

ところで2022年秋ごろまで北朝鮮はコロナワクチンの接種を行わなかった。徹底した國(guó)境封鎖で人とモノの流れを止める際に、ワクチンもその対象となったと推測(cè)されるが、さらに一つの理由として脆弱な電力事情があるのは想像に難くない。日本でも醫(yī)療機(jī)関が誤って冷蔵庫(kù)の電源を抜いてしまい、ワクチンが品質(zhì)劣化し使えなくなってしまったニュースがあったが、同様のことが起こることは十分に想像される。提供されても保管できない懸念があるのだ。

だが、地方都市も私たち外國(guó)人が訪れる場(chǎng)所はほぼ停電がなかった。電燈のついた開(kāi)城の食堂の個(gè)室で食事をしていると、部屋の端にスマートフォンが置いてあった。スマートフォンにはコードが刺さり、部屋の端のコンセントにつながっていた。

やがてそっとチマ?チョゴリ姿の女性が入ってきた。他の人は誰(shuí)も気にしていない。私だけが気づいた。

目が合って、あ…とやや沈痛な表情を浮かべた彼女に、気にしていないよ、何も見(jiàn)てないよと精いっぱいの笑顔を浮かべ首を橫に振って答えた。彼女はぴょこんと頭を下げると、すっとスマートフォンを回収し、そっと部屋を出ていった。

フラッシュを焚いた瞬間の光景が網(wǎng)膜に焼き付けられるように、不思議と北朝鮮の人たちとのささいなやりとりは忘れない。最後に訪朝してから7年になろうとしている。そろそろ訪朝が可能になるのでは?という情報(bào)も出てきた。訪朝したら電力事情の改善の確認(rèn)と、かつて會(huì)った人たちとの再會(huì)を心から楽しみにしている。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現(xiàn)在東京在住。韓國(guó)留學(xué)後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財(cái)団法人霞山會(huì)HPと広報(bào)誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多數(shù)執(zhí)筆。朝鮮総連の機(jī)関紙「朝鮮新報(bào)」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社會(huì)でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「內(nèi)外情勢(shì)調(diào)査會(huì)」での講演や大學(xué)での特別講師、トークライブの経験も。過(guò)去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現(xiàn)地の人との會(huì)話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書(shū)に「新聞?テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書(shū)店?共著)。

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※本コラムは筆者の個(gè)人的見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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