Record China 2024年1月6日(土) 13時40分
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在日中國人の公益団體「龍組」は能登半島地震の発生を受け、ただちに被災(zāi)地支援の活動に著手した。彼らは被災(zāi)地に負(fù)擔(dān)をかけないための著実な段取りを勵行した。
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1日午後4時10分に発生したマグニチュード7.6の能登半島地震では、時間が経過するとともに被害の大きさが明らかになってきた。6日午前の時點で石川県內(nèi)で確認(rèn)された死者は100人に達(dá)し、連絡(luò)が取れない安否不明者は211人と発表された。多くの日本人がテレビで倒壊した家屋や無力な人々を見て心を痛めた。「自分にできることをしよう」とボランティア活動に著手した人々もいる。しかし立ち上がったのは日本人だけではなかった。在日中國人の公益団體「龍組」(正式名稱は龍在日華人援助協(xié)會)のメンバーも、「被災(zāi)地の住人のために何かせねばならない」と強(qiáng)く思った。
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大きな被害に胸を痛め、「自分にできることをしよう」と動き出すのは、人の心の「善なる部分」の発揮だ。しかし気をつけねばならないことがある。被災(zāi)地は道路なども寸斷されており混亂している。やみくもに駆けつけたのでは、ただでさえ苦しい被災(zāi)地の負(fù)擔(dān)を増やしてしまう。そして、被災(zāi)地が「喫緊に必要とする物資」以外の物を持って駆けつけたのでは、少なくともすぐには役には立たないし、保管や管理でやはり相手側(cè)に負(fù)擔(dān)を追加してしまう。
龍組は2日の時點で、石川県の危機(jī)管理監(jiān)室に連絡(luò)し、現(xiàn)地に向かってもよいかを確認(rèn)した。さらに実績ある民間公益支援団體のピースウィンズ?ジャパンとも連絡(luò)を取り、車両を乗り入れての現(xiàn)地支援が認(rèn)められているかどうかを改めて確認(rèn)した。また、石川県の危機(jī)管理監(jiān)室がまとめた緊急救援物資リストに基づいて、支援物資を用意することにした。彼らは、被災(zāi)地行政側(cè)に支援したいという意志を「報告」、行政側(cè)およびそれ以外の団體と「連絡(luò)」、そして聲をかける「相談」、すなわちビジネスでよく言われる「報告?連絡(luò)?相談」を最初からしっかりと行うことで「最も必要とされることをする。マイナス効果を発生させない」ことに徹した。
龍組は必要な手順をしっかりと踏んだ上で在日華人コミュニティーに聲掛けして被災(zāi)地が必要とする救援物資の調(diào)達(dá)を始め、東京の池袋駅北口の駐車場で救援物資の受け入れ態(tài)勢を整えた。同時に、龍組內(nèi)部で物資を被災(zāi)地まで運ぶボランティア運転手の募集を始めた。
なお、石川県の馳浩知事は5日の時點で、「能登へ向かう道路の渋滯で大変困っている。不要不急の能登への外出は控えてほしい」として、個別や一般のボランティアを含めて、不要不急の能登行きはしないよう求めた。
在日中國人が手掛ける企業(yè)や中國系住人は龍組の呼びかけに積極的に応じた。寄付された毛布、飲料水、食品、おむつ、粉ミルク、薬品、レインコート、食品用ラップ、寢袋、簡易トイレ、女性用生理用品などが車に積まれた。また、龍組は集まった物資と必要とされる品目を照合しつつ、必要とされる一部の品を追加購入した。
物資の積み込みを終えたワゴン車2臺、トラック1臺、乗用車3臺が池袋を出発したのは2日午後8時15分だった。東京を出たのは午後9時ごろで、先に出発していた1臺と合流したので、計7臺になった。積んでいたのは、呼びかけを始めて24時間にもならないうちに、あちこちに住む在日中國人が、「熱い気持ちを贈ろう」と寄付した災(zāi)害救助物資だった。
7臺にはボランティアが計20人分乗していた。慣れない道で長時間運転すれば、當(dāng)然ながら大いに疲労する。交通事故は絶対に起こせない。だから運転擔(dān)當(dāng)は交代制にした。一行は出発してから約19時間をかけて、3日午後2時半に被災(zāi)地に到著した。
この物資の配送に參加したボランティアによると、石川県能登町では大地の裂け目や細(xì)長い地割れがあった。まるで人の傷のように思えて心が痛んだ。七尾市では倒れそうになって揺れている木が多かった。緊急車両も多かった。最も大きな被害が発生した輪島市では地割れがとても大きく、倒壊家屋があちこちにあった。激しい山崩れや泥水が流れた跡があった。道路脇に大きな石が転がっていた。ビルが橫倒れになって土臺部分が浮き上がっていた。救援隊や自衛(wèi)隊がブルーシートで覆ってその中側(cè)で救助作業(yè)を続けていた。一つ一つの光景に、息をのむ思いだった。無殘だった。自然災(zāi)害に直面して、人とはいかに小さな存在かと思い知らされた。
途中で道を?qū)い亭毪郡幛塑嚖蛲¥幛侩Hに、そこにいた地元住民に必要な物はないかと聞いてみた。その高齢の女性はおどおどとした様子で、「水と食べ物だけでよいです」と言った。現(xiàn)地は停電し、斷水していた。品物を渡すと、その女性は禮を言い続けた。その姿を見て、涙がこぼれそうになった。
避難所になっている輪島市立鳳至小學(xué)校に著くと、住人數(shù)百人が秩序正しく、地元行政の危機(jī)管理スタッフの指示に従っていた。毛布にくるまり一家が座り、あるいは小さな場所で寢そべっていた。9割は高齢者だった。帰る家もなくなり、なにもかも失った人々だった。ボランティア一行はひどく心を痛めた。
支援物資を輪島市文化會館に屆けたのは、午後3時半だった。現(xiàn)地にとどまれば、さまざまな作業(yè)をせねばならぬ現(xiàn)地の人々の邪魔になる。一行はただちに東京に向かって引き返した。
龍組は第2陣の救援物資として、すでに毛布590ケース4130枚、総重量で8トン近くを現(xiàn)地に屆けた。すぐに地元住人に配布されたはずだ。
龍組が結(jié)成されたのは2021年9月だった。日本では新型コロナウイルスのデルタ株が猛威を振るっていた時期だ。コロナ禍が最も厳しい時期だった。醫(yī)療システムが崩壊に瀕し、病院は飽和狀態(tài)だった。外國人には、言語による意思疎通能力が劣るために治療を受けられず、大切な命を失ってしまう事例が出ていた。
龍組はこのような危機(jī)的狀況にあって結(jié)成された。そして、SNSを通じたオンラインによる支援と、発癥した同胞のいる場所に足を運んでの現(xiàn)場の支援を行うことで、在日華人同胞のための公益支援を無償で行った。
龍組はコロナ禍にひと區(qū)切りがついた後も、違う方面の公益活動を行っている。例えば行方不明になった日本の高齢者や幼児を探す活動の支援や詐欺被害防止の宣伝活動、高齢者用施設(shè)への慰問、生活支援活動、その他の公益活動だ。また海岸に捨てられたカキの殻を清掃する活動も主催した。(取材?構(gòu)成/如月隼人)
pic.twitter.com/FOX7i5BZuS— 中國動畫 (@RC00547555) January 5, 2024
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