仕切りのついた火鍋は漢代から?!―中國(guó)

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2024年1月10日(水) 21時(shí)30分

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前漢の「銅分格鼎」は、この時(shí)代の仕切りがある銅製の鼎として中國(guó)國(guó)內(nèi)で初めて出土したものであるだけでなく、これまでに出土した唯一のものでもある。

前漢の「銅分格鼎」は、この時(shí)代の仕切りがある銅製の鼎として中國(guó)國(guó)內(nèi)で初めて出土したものであるだけでなく、これまでに出土した唯一のものでもある。

商?周時(shí)代にわたって、銅製の鼎は最も重要な國(guó)家の禮器(祭禮に用いられる器?道具)と見(jiàn)なされてきたが、前漢になると食べ物を煮るという本來(lái)の用途で再び使われるようになった。いろいろな種類(lèi)の肉を食べたいが、違う種類(lèi)の食材が混ざるのは嫌だということで、手先の器用な前漢の人々はこのような仕切りのある鼎を設(shè)計(jì)した。

こだわりのグルメは、火鍋を食べる時(shí)の鍋を極めるだけでなく、つけだれ調(diào)味料にもこだわっていたようだ。前漢の人はつけだれのおいしさを保つ「秘密兵器」ともいえる「染器」を使っていた。これは調(diào)味料を加熱する器で、古代において調(diào)味料は「染」と呼ばれていたため、その名が「染器」と呼ばれている。「染器」の上部にある皿のような「耳杯」に調(diào)味料を入れ、その下にある爐の部分に火を入れて加熱することで、溫かいものを好んで食べる習(xí)慣のあった當(dāng)時(shí)の人々のニーズに応えていた。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集/KS)

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