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芥川龍之介や魯迅、上海に殘る日本ゆかりの建築を訪ねる

フライメディア    2024年1月12日(金) 21時(shí)30分

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1940年代に日本人が多く住んでいた上海市虹口區(qū)では、日本人が引き揚(yáng)げて以降、上海市民が日本人の住んでいた住宅や日本とゆかりがある建物に居住し、そのまま建物が使われている。寫真は舊西本願(yuàn)寺?上海別院。

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1940年代に日本人が多く住んでいた上海市虹口區(qū)では、日本人が引き揚(yáng)げて以降、上海市民が日本人の住んでいた住宅や日本とゆかりがある建物に居住し、そのまま建物が使われているものもある。再開(kāi)発のために立ち入りできない建物もあるが、歴史的価値の観點(diǎn)から日本とゆかりのある建物を紹介する。

その他の寫真

最初に紹介するのは1931年に建てられた舊西本願(yuàn)寺?上海別院。迫力あるレリーフが道からもよく見(jiàn)える。建築にそれほど興味がなくても、上海に長(zhǎng)く住んでいる日本人は一度は訪れたことがあるのではないだろうか。

日本人建築士の岡野重久氏が設(shè)計(jì)した。インド様式の建築で、東京にある築地本願(yuàn)寺とよく似ている。上海在住の日本人信者の參拝のために建造された日本式寺院で、元は他にも仏塔などの宗教建築があったが、取り壊されている。現(xiàn)存する建物は上海市の優(yōu)秀歴史建築に指定されている。


現(xiàn)在は音楽ショーを上演するライブバーとなっており、公演がある日は中に入ることができる。ハロウィンやクリスマスのイベントも開(kāi)催している。


次に紹介するのは、舊西本願(yuàn)寺?上海別院のすぐ近くにある1922年に建てられた舊本圀寺(ほんこくじ)別院。


日本の建築様式の唐破風(fēng)(からはふ)の屋根が入り口に設(shè)けられていることが特徴。上海市民の住宅として分配され、數(shù)年前まで多くの世帯が居住していた。敷地內(nèi)には他にお堂のような建物もある。上海市優(yōu)秀歴史建築。近年、再開(kāi)発計(jì)畫による住民の立ち退きがあり、內(nèi)部にはふすまや欄間が殘されていたといい、再開(kāi)発計(jì)畫が終了した後にかつての様式がどれだけ保存されるか注目される。


上記の建築がある乍浦路から少し離れた武進(jìn)路には長(zhǎng)徳院の跡地がある。1944年にこちらに移転した。


元の建築に唐破風(fēng)を増築している。再開(kāi)発計(jì)畫により、すでに住民が立ち退き、周囲の多くの舊建築は取り壊されているものの、この建物は今も殘されている。舊長(zhǎng)徳院は保護(hù)建築の指定を受けていないため、今後見(jiàn)られなくなる恐れもある。


日本人が経営していた豊陽(yáng)ホテルもある。日本の政府高官や実業(yè)家が宿泊する高級(jí)ホテルだった。


長(zhǎng)らく集合住宅として使用されていたが、再開(kāi)発計(jì)畫により住民が立ち退いたもよう。


日系旅館の萬(wàn)歳館の創(chuàng)業(yè)は1904年。豊陽(yáng)ホテルよりも規(guī)模が大きい。日本人引き揚(yáng)げ後は集合住宅として多くの世帯が居住していた。2020年に住民の立ち退きが完了し、建物への立ち入りが制限され、一帯の再開(kāi)発工事が進(jìn)められている。上海市の優(yōu)秀歴史建築に指定されているため、保護(hù)される方向にある。

この旅館に宿泊した有名人といえば、真っ先に挙げられるのが文豪?芥川龍之介だ。數(shù)年前に日本で放映されたドラマ予告でもこの建物が紹介されていた。


芥川龍之介が體調(diào)を崩して通った日系診療所も近くにある。


次に紹介するのは、日本でも有名な中國(guó)人作家の魯迅が住んだ家。虹口區(qū)で住まいを転々としていたが、保存?公開(kāi)されているのが魯迅故居だ。1933年から亡くなる1936年までここに住んだ。これまでも多くの日本人が訪れている。


また、普段なかなか入れない舊建築の內(nèi)部を見(jiàn)ることができる貴重な場(chǎng)でもある。魯迅一家が居住していた場(chǎng)所は室內(nèi)撮影禁止のため注意が必要。魯迅故居から歩ける距離にある魯迅公園內(nèi)に魯迅記念館と魯迅が眠るお墓がある。

魯迅の活動(dòng)を支えたのが內(nèi)山完造だ。內(nèi)山は內(nèi)山書店を開(kāi)き、日本をはじめとする海外からの書籍を取り寄せ、魯迅に提供した。魯迅故居の近くにある舊內(nèi)山書店跡は「1927魯迅與內(nèi)山記念書局(1927魯迅と內(nèi)山記念書店)」となり、魯迅作品や魯迅と內(nèi)山氏の交流を紹介する展示のほか、カフェも併設(shè)されている。


內(nèi)山氏については、虹口區(qū)の街並み保存エリアの多倫路に銅像が建てられているので見(jiàn)に行っても良いだろう。

急速に開(kāi)発が進(jìn)む上海では、古い建築が殘っていること自體が貴重で、日本とゆかりのある建物が現(xiàn)存していることも日本人にとって意義がある。いつの時(shí)代も日本人居住者が最も多い中國(guó)の都市?上海と日本の結(jié)びつきに思いを馳せずにはいられない。

虹口區(qū)への訪問(wèn)は地下鉄利用が便利。上海地下鉄10號(hào)線の四川北駅を起點(diǎn)としての散策をお?jiǎng)幛幛工搿=窕亟B介しきれなかった日本ゆかりの建物もたくさんあるので、新発見(jiàn)をしに虹口區(qū)を歩いてみてはいかがだろうか。(提供/フライメディア)

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