漢代長(zhǎng)安の道路遺跡が発見(jiàn)される、文獻(xiàn)記載の「函古道」か―陝西省西安市

CRI online    2024年1月28日(日) 22時(shí)30分

拡大

陝西省考古研究院は28日、「2023年4月から12月にかけて、西安市の東郊外で務(wù)荘道路遺跡、謝王荘道路遺跡、東方紅遺跡の3カ所の道路遺跡が発見(jiàn)された」と発表しました。

(1 / 2 枚)

陝西省考古研究院は28日、「2023年4月から12月にかけて、西安市の東郊外で務(wù)荘道路遺跡、謝王荘道路遺跡、東方紅遺跡の3カ所の道路遺跡が発見(jiàn)された。これは、漢代における長(zhǎng)安郊外の道路交通を研究する上で重要な資料となった。発見(jiàn)された道路のうち1本は、文獻(xiàn)に記載された『函古道』である可能性がある」と発表しました。

その他の寫(xiě)真

3カ所の遺構(gòu)のうち、謝王荘道路遺跡は灞河の東、漢代の長(zhǎng)安の宣平門(mén)から約12.5キロ離れた位置にあります。ここでは5本の道路が発見(jiàn)されました。この遺跡は上下2層に分かれ、最も幅が広い部分は約55メートルで、約40本のわだちが見(jiàn)え、軌間は約1.2メートルあります。出土した瓦や軌間の分析に基づいて、漢代のものであることが分かりました。この謝王荘道路遺跡は現(xiàn)在、灞河の東で発見(jiàn)されている中でも最大規(guī)模の道路遺跡で、長(zhǎng)安と関外を結(jié)ぶ幹線道路文獻(xiàn)に記載された『函古道』である可能性が高いとみられています。


務(wù)荘道路遺跡も灞河の東にあり、灞河からは3.4キロ離れています。こちらも上下2層に分かれており、上層が唐代の道路で、下層が漢代の道路となっています。務(wù)荘道路は謝王荘道路と平行に延びており、謝王荘道路の南東部にありますが、その北西の支線は謝王荘道路とつながっていた可能性があり、漢代の長(zhǎng)安から東に出る幹線道路の支線だったのではないかということです。(提供/CRI

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜