小澤征爾、坂本龍一、谷村新司…日中友好のために奔走した日本の巨匠たち―中國メディア

Record China    2024年3月4日(月) 10時(shí)0分

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27日、環(huán)球時(shí)報(bào)は、この1年で日中友好に多大な貢獻(xiàn)をしてきた日本の文化、蕓術(shù)界の著名人が相次いで亡くなったとし、若い世代による日中友好に期待を寄せる記事を掲載した。寫真は小澤征爾さん。

2024年2月27日、中國メディアの環(huán)球時(shí)報(bào)は、この1年で日中友好に多大な貢獻(xiàn)をしてきた日本の文化、蕓術(shù)界の著名人が相次いで亡くなったことを振り返るとともに、若い世代による日中友好に期待を寄せる記事を掲載した。

記事は、日本の指揮者の小澤征爾さんが先日、長い闘病生活の末に亡くなったと紹介。小澤さんについて「1935年に瀋陽で生まれ、6歳まで北京の胡同で過ごした経歴を持ち、日本に戻ってからも中國への愛情が冷めることはなく、母が亡くなった際にはその遺志に従って遺灰の半分を北京に安置した」と伝えた。また、公演のために何度も中國を訪れたほか、小澤征爾音楽塾を通じて中國を含む世界の若手音楽家を育てるなど日中交流にも盡力したと説明した。

さらに、この1年で小澤さん以外にも日中友好を推進(jìn)した日本の文化人、蕓術(shù)家が相次いで亡くなったとし、昨年3月には、何度も中國を訪れ、侵略戦爭への反省を反映した作品を數(shù)多く殘したノーベル文學(xué)賞受賞者の大江健三郎氏が、4月には「老子」を愛読し、日中間の人的交流に盡力するとともに、中國の要素を取り入れた優(yōu)れた作品を數(shù)多く手掛けた作曲家の坂本龍一氏が、10月には生前「前世は中國人だったかもしれない」と語ったこともあり、中國でも多くの作品が人気を博したシンガーソングライターの谷村新司氏がそれぞれこの世を去ったと紹介、「日中友好?交流分野の損失だ」と評している。

その上で、小澤さんら古い世代の日本の巨匠の多くが中國に深い感情を持っているのは戦爭の影響が大きいと指摘。アニメーション監(jiān)督の宮崎駿氏の実家は第2次世界大戦中に航空機(jī)工場を経営し、作家の村上春樹氏の父親は1938年に兵士として中國に赴いており、中國人捕虜の処刑について聞いたことが原因で父親との間には大きな溝が生まれたことを村上氏本人が明かしていると伝えた。

記事は、內(nèi)閣府が先月実施した調(diào)査で「中國に親しみを感じる」日本人の割合が12.7%と過去最低を記録したことを紹介。その理由について、主に日本の伝統(tǒng)的なメディアに情報(bào)を頼っている一部の高年齢層が、中國に対して否定的な態(tài)度を持っているからだとした。一方で、「若手を中心に日中友好のために活動(dòng)を始めるアーティストも日本には確かに存在する」とし、その例として歌手のMISIAが2020年に湖北省武漢市で新型コロナのパンデミックが発生した際に、コンサートで武漢への支援を呼び掛け、SNSに武漢を応援する投稿をしたことを挙げた。

そして、「過去數(shù)十年にわたり、中國と日本の巨匠たちは両國の友好に大きく貢獻(xiàn)してきた。日本の文化?蕓術(shù)界で、この友好を引き継ぐ若者が増えることを期待する」と結(jié)んだ。(翻訳?編集/川尻

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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