能登半島地震を取材した中國(guó)人記者「一生忘れない」、窮地を救ってくれたおばあさんに感謝

Record China    2024年3月25日(月) 22時(shí)0分

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能登半島地震を取材した中國(guó)人記者のSNS投稿に、「心溫まる」との反響が寄せられている。

能登半島地震を取材した中國(guó)人記者のSNS投稿に、「心溫まる」との反響が寄せられている。

フェニックステレビ(鳳凰衛(wèi)視)東京駐在記者の李●(リー?ミャオ、●は水3つ)氏は24日、中國(guó)のSNS?微博(ウェイボー)アカウントで「日本の地震を取材した時(shí)、小さな物語(yǔ)があった」とし、いきさつを説明した。

それによると、今年元日の地震発生を受け、李氏は同3日に被災(zāi)地に取材に向かった。訪れた穴水町では多くの家屋が全壊し、斷水や停電に見(jiàn)舞われていた。李氏らは水分補(bǔ)給を極力控えるなど気を遣ったが到著時(shí)にトイレに行きたくなっていた。攜帯用の簡(jiǎn)易トイレを持參していたものの、それを使える場(chǎng)所が見(jiàn)當(dāng)たらなかった。

李氏は自宅のがれきを片付けていたおばあさんに、近くに避難所はないかと尋ねた。避難所のトイレの個(gè)室內(nèi)で持參した簡(jiǎn)易トイレを使用して持ち帰れば、被災(zāi)地に迷惑をかけることにはならないだろうと考えたという。

しかしあいにく、避難所まではだいぶ距離があった。おばあさんは事情を知ると、「うちに簡(jiǎn)易トイレがあります。流せないけど嫌じゃなければ使ってください」と申し出た。李氏は「あの時(shí)の感謝の気持ちは本當(dāng)に一生忘れられない」とつづった。東京に戻った後、李氏がおばあさんに手紙とお禮のお菓子を送って感謝を伝えたところ、思わぬことに數(shù)日後に返事が屆いた。

李氏はおばあさんから屆いた手紙の寫(xiě)真を投稿しており、手紙には「當(dāng)たり前のことをしましたのに大変高価なチョコレートに溫かいお言葉を添えてのお手紙をいただきました」「ホワイトデーがこれほどキュンとさせてくれるとは76歳にして初めて知りました。感謝を申し上げます」などと書(shū)かれている。

これに微博のユーザーからは「素晴らしい話」「心が溫かくなった」「目が潤(rùn)んだ。これこそ人間の情だよ。感動(dòng)した」「災(zāi)害は無(wú)常だが、人情は溫かい」「感動(dòng)した。お互いに優(yōu)しい人に出會(huì)ったね」「心溫まる出來(lái)事。(おばあさんの手紙の)字がとてもきれいだね」といった聲が寄せられている。(翻訳?編集/北田

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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