Record China 2024年4月27日(土) 23時(shí)0分
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中國メディアの新週刊は25日、「映畫館で怒ったのは私一人だけではない」との論評記事を掲載した。
記事は冒頭、「暗い中で一人の観客がスマホの畫面を點(diǎn)燈させている。その無言の破壊力は侮辱性が極めて強(qiáng)いと思わせるものがある」と切り出し、「これは決して個(gè)別の事件ではない。全神経を集中させる必要のある暗い空間において、周囲を全く気にかけない煌々とした明かりは、まさに自分以外の數(shù)百の観客を人間と思っていない所業(yè)である」と斷じた。
また、「他者を人間扱いしない方法は他にもいろいろある」とし、「盜撮、貧乏ゆすり、セリフや先の展開を口に出して言う、座席を蹴る、電話に出る、物を食べる……。これらの行為は極めて深刻であり、白い目で見たり、批判したり、警告したりしたところで、彼ら(迷惑行為をする人)の自我を揺さぶることはできない」と論じた。
記事によると、今年3月に中國の大手レビューサイト「豆瓣(douban)」に投稿された「私は立ったまま1本の映畫を観終えた」とのスレッドが多くの共感を呼んだ。投稿主は後列の2人の女性が大聲でずっとおしゃべりしているのに耐えられず、後列にその女性らしかいないことを確認(rèn)した上で、女性らの視線を遮るように立ったまま2時(shí)間半鑑賞した。しかし、その女性らは後にSNS上で「映畫館で話してはいけないと誰が決めたのか」と反論したという。
記事は、かつて中國人が芝居や映畫を観る時(shí)は確かににぎやかだったとし、ヒマワリの種や落花生をむいて食べたり、たばこを吸ったりすることが當(dāng)たり前だったと説明。演劇が行われる會場は、拍手をする人、字幕を読み上げる人、銅鑼や太鼓を鳴らす人がいるなど、いつも騒がしかったとし、1900年頃の様子をつづった過去の文獻(xiàn)にもそのような描寫が出てくるとした。
一方で、當(dāng)時(shí)の映畫は現(xiàn)在ほど長いものではなく、スライドショーのようにわずか數(shù)分で終わるもので、観客らも物語の中に入り込むでもなく、おしゃべりしたり飲み食いしたりしており、片手間で観る?yún)gなる気晴らしだったと指摘。そして、學(xué)者の戴錦華(ダイ?ジンホア)氏の言葉として「“映畫を観る”とは、後天的に身に付けた能力である」とし、「中國人は1913年に最初の短編映畫『難夫難妻』を撮った時(shí)、人々は初めてストーリーに浸ることを知り、そしてそれを認(rèn)識した」と解説した。
さらに、「1923年に『孤児救祖記』が驚異的なヒットを飛ばし、中國で映畫が存在感を持つようになったが、咳をしたり、サトウキビをかじったり、水たばこを吸ったり、家のことを話したり、けんかをしたり、押し合ったり……といった聲(音)はあちこちから聞こえてきた」と紹介。「そのため、(中國の作家)老舎は『観衆(zhòng)の心得20則』として、皮肉を交えて『観劇中は必ずけんかをしなければならない』『トイレに出入りする際はドアを勢いよく開け閉めしなければならない』『役者がちょっと冗談を言うたびに必ず深いと稱賛し、批評力を示さなければならない』『寂しくならないように拍手は止めないようにしなければならない』と戒めた」とした。
記事は、1910~20年代に新聞や雑誌などを通じて人々の映畫?劇の鑑賞マナー育成に力が入れられてきたとする一方、「しかし100年以上経っても映畫館や劇場でスマートフォンをいじっている人はいるもので、これらの言いつけはまるで無駄になったようだ」と嘆息?!弗榨楗氓伐?、咳払い、シャッター音、レーザーポインター、貧乏ゆすり、盜撮。(映畫の)演出家が仕組んだものは一つもないが、これは映畫館や劇場で実際に起こることなのである」と結(jié)んだ。(翻訳?編集/北田)
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