かつては舊上海一番の高級マンション、存在感を放つ「錦江ホテル」

フライメディア    2024年5月2日(木) 8時30分

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上海には外國様式の古建築が數(shù)多くある。

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上海にはアジアであることを忘れさせるような外國様式の古建築が數(shù)多く建っている。外國人居留地の租界があったためだ。上海にはかつて英國米國が管轄した「共同租界」、フランスが管轄した「フランス租界」の二つの租界があった?,F(xiàn)在もその時代に建てられた建造物が殘り、獨特な雰囲気の街並みとなっている。

その他の寫真

現(xiàn)在は錦江飯店が建つエリアは舊フランス租界の一等地だった。茂名南路と淮海中路が交わる一帯には上海を訪れる日本人が多く宿泊し、上海在住の日本人にもおなじみの花園飯店(ガーデンホテル)もこのエリアにある。錦江飯店は花園飯店の向かいにある。


外見からしていかにも歴史がありそうな舊建築。茂名南路沿道にはこのような建物が多く殘る。上海人は錦江飯店を「老錦江」と呼ぶ?!咐希ü扭ぃ╁\江」があるのなら「新」錦江もあるのではと思われる方もいるだろう。通稱「新錦江」は隣接する敷地に建っている。そびえ立つタワーが老錦江と対極をなしている。


花園飯店はかつてフランス人の社交場や娯楽の場であったフレンチクラブだったが、錦江飯店も興味深い來歴を持っている。敷地內(nèi)には似た外観の築100年ほどの古建築が2棟建っているのだが、実はオーナーは同一人物。がぜん興味が湧き、調(diào)べてみることにした。

錦江飯店の客室棟の中で北側(cè)に建つのが「錦北樓」と呼ばれる13階建ての建物。1929年に建てられ、舊名は「華懋公寓 (Cathay Mansion)」。Cathayとは中華を表す。


外灘(バンド)にそびえる上海のレジェンド的存在のホテル「和平飯店」の舊名はCathay Hotelだった。そう、「華懋公寓 (Cathay Mansion)」と「和平飯店」のオーナーは同じなのだ。

寫真左の緑の屋根がCathay Hotelだった建物

外灘のCathayがホテルだったのに対し、舊フランス租界の一等地に建つCathayは高級サービスアパートメントだった。1~10階は客室、11~12階はレストラン、13階はキッチン。當(dāng)時としては先進的で、各部屋に冷暖房とバス?トイレがあり、料理は小さい貨物用エレベーターで運搬され、電話もあった。

立地が良く、設(shè)備や內(nèi)裝が當(dāng)時の上海で最高レベルだったため、多くの外國人を引き付け、部屋は瞬く間に売り切れたという?,F(xiàn)在は錦江ホテルになっているが、北樓の客室は天井が3メートルを超え、當(dāng)時の木製の窓枠が殘っている。大規(guī)模な改修が何度かあったが、內(nèi)部は昔の優(yōu)雅な面影を今も漂わせている。

エントランスを入ったところにあるコーナーでは昔の北樓の寫真が見られる


奧の階段の作りも豪華。上がった所にはカフェがあり、アフタヌーンティーを楽しむことができる。

錦江飯店のもう一つの客室棟は18階建ての「貴賓樓」で、北樓と似た建築だが緩やかに弧を描いており、外観の色合いも相まって権威的な印象を與える。先に書いたようにオーナーは北樓と同じで、建物の形については一説あり、オーナーのEllis Victor Sassoonさんの名前から1文字取ったEの字の形で設(shè)計されているとも言われる。1935年に建てられ、「峻嶺公寓(Grosvenor House)」 と呼ばれていた。こちらも超高級サービスアパートメントだった。

18階という高さは當(dāng)時の舊フランス租界で最高層住宅だった。建造時は1階がジム、2階以上が客室で、屋上に庭園とテラスがあった。外資系企業(yè)の社長、外國領(lǐng)事、政府要人、資本家、セレブなどが入居していた。舊上海の黒社會の大ボス?杜月笙が住んでいたこともあったという。


戦後の一時期は米軍地方支援部隊司令部が管理していた。その後、上海の舊共同租界を管轄していた主要國の英國系の保有だったため、以前のサービスマンション業(yè)務(wù)を再開した。入居者は外國人のほか、蔣経國など國民黨幹部もいたという。1949年以後は付近の道に合わせて「茂名公寓」と改名し、政府幹部や知識人らが入居した。

1951年に外國の賓客を接待する初のホテル「錦江飯店」として正式に開業(yè)した。初期は舊ソ連、北朝鮮、モンゴルなどからの外交訪問団や國家首脳の宿泊先となった。貴賓樓のスイートルームは國家元首級の要人のみ宿泊可能だった。これまでに150カ國以上、500人余りの國家レベルのVIPを接待してきた。


貴賓樓內(nèi)にあるラウンジではかつて宿泊した各國要人を紹介している。日本の要人も宿泊していた。

1990年代以降、客室棟の大規(guī)模改修を行った。その頃から一般客も錦江ホテルに宿泊できるようになったが、その多くは日本人をはじめとする海外からの宿泊客だった。

上海にはこのような歴史を感じられるオールドホテルが多くある。ぜひ現(xiàn)地で重厚感ある雰囲気を感じ取ってもらいたい。(提供/フライメディア)

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