<日本人の忘れられない中國>上海行きに絶望、でも実際に住むと想像とは180度違った!

日本僑報(bào)社    2024年6月9日(日) 14時(shí)0分

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中國語がもっと上達(dá)したら中國人には中國語で日本の良さを、日本人には日本語で中國の良さを多言語を使って伝えていきたい。寫真は上海駅。

2023年3月27日、私は現(xiàn)地校の高校に入學(xué)した。11歳のあの頃の私に想像できただろうか。

私は小學(xué)6年生になる春に上海に來た。5年前の9月頃、父から「來年の3月から中國の上海に転勤することになった」と伝えられた瞬間、深い絶望感に襲われた。今まで仲良くしていた友達(dá)と離れることや楽しみにしていた來年の修學(xué)旅行に行けなくなるのがとても嫌で私は行きたくなかった。しかし、まだ私は小學(xué)生。一人で日本で生活する力はあるはずもなく、両親に仕方なくついていくことにした。

この頃、上海に來る前の印象といえばマンホールが落ちたり建物が崩れたりなど、たくさん事故や事件が起こっていたので危険な國だと思って不安ばかりでドキドキしていた。初めての海外生活。言語もわからないため不安に駆られる毎日だったが、とうとう3月になり実際に上海に住んでみると想像とは180度違った。実際はマンホールも建物も安全で、街の至る所やショッピングモールにたくさん防犯カメラが設(shè)置されていて防犯面も安全だった。

さらに驚いたのは、中國人の國民性だ。みなとても積極的でコミュニケーション好きな人が多く、日本語を喋っていたらタクシーのおじさんが「何人?どこから來たの?」や「日本が好きです。日本語教えて」と外國人の私にたくさん話しかけてくれた。この時(shí)に私は海外の方が日本語に興味を持ってくれていることにとても嬉しくなった。

この頃は全く中國語が読めも話せもしなかったため、中國で使うと便利なアプリも知らなかった。だからお店で物を一つ買うのにもとても時(shí)間がかかり翻訳アプリが手から離せない狀態(tài)だった。買い物をする時(shí)やタクシーに乗るときに以前は発音を間違えてしまいそうで失敗を恐れ、翻訳アプリや身振り手振りを使ってコミュニケーションをしていた。中國でタクシーを呼ぶアプリを知らなかったので、道で手を挙げて通りすがりのタクシーを止めて捕まえていた。だが、友人にタクシーの呼び方やお店でよく使うフレーズを教えてもらったおかげでだんだんとお店の人の話を理解できるようになった?,F(xiàn)地の方達(dá)と會話をする時(shí)も、発音を間違えてもいいから中國人の國民性を見習(xí)って自分の口から積極的に中國語を使ってコミュニケーションをとっていこうと決意した。

そこから私は中國語教室に通い始めた。そこで學(xué)んだことを日常生活の中で活用し、翻訳なしで通じたのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。こうした體験のおかげで私は「中國語の勉強(qiáng)を頑張って友達(dá)をたくさん作り交流の輪を広げていき、高校3年間で中國語を勉強(qiáng)してHSK6級を取得し、日本に帰り大學(xué)受験をするときや將來就職する時(shí)に活用できるように引き続き頑張っていきたい。」という大きな目標(biāo)ができた。これらをきっかけに中國語に興味を持ったおかげで上海の現(xiàn)地校に入學(xué)するきっかけともなった。

それは、友人の母からの紹介だった。父の仕事の都合で私は高校2年生頃に日本へ帰らなくてはならなかった。せっかく上海で生活しているのに中國語を全く習(xí)得せず、現(xiàn)地の子達(dá)とも交流せずに日本に帰るのは勿體無いなと思っていた。その時(shí)にちょうど中國語が話せる友人の母が現(xiàn)地校のその學(xué)校を勧めてくれて、たくさんの情報(bào)を教えてくれた。私はそれを聞き、そこで中國語を頑張って習(xí)得したいと惹かれた。今までの私だったら中國語だらけの現(xiàn)地校に行くという高い壁には向かっていなかったと思う。これからはもっと新しいことに挑戦してどんどん得意なことを増やしていきたい。

入學(xué)してまだ2カ月目。授業(yè)は全て中國語なので大変な面はあるがだんだんとその環(huán)境に慣れてきた。この學(xué)校に入ってから現(xiàn)地の中國人の友達(dá)もできた。私の中國語力はまだまだだが以前の目標(biāo)だけでなく、「歳の離れた弟に中國語を教えられる能力をつける」という新しい目標(biāo)にも向かっていきたい。

私が上海に來る前と同じように未だに中國の印象を悪く思っている日本人が多數(shù)いると思う。私自身も日本に住んでいる友達(dá)に「中國って危ない國なんでしょ……?大丈夫?」と心配されることが多々あった。また、私の友人は日本の學(xué)校に転校した際に中國から來たというだけで差別発言をされたという。だが、実際に行ってみなければわからない良さというものがある?,F(xiàn)地で生活していた私が、上海で生活していて學(xué)んだことを日本に帰國した際に伝えていければいい。私は中國語がもっと上達(dá)したら中國人には中國語で日本の良さを、日本人には日本語で中國の良さを多言語を使って伝えていき、弟のような中國語初心者に簡単な言語も教えたい。そうやって少しでも偏見をなくしていき、日中友好の架け橋になれれば嬉しい。

私の將來の夢は中國語を使った職業(yè)に就き、海外に出て活躍することだ。その夢を葉えるために私は中國語の勉強(qiáng)を頑張っている。

■原題: 中國人には日本の良さを、日本人には中國の良さを

■執(zhí)筆者プロフィール:中村 優(yōu)芽(なかむら ゆめ)高校生

2007年生まれ。父の転勤に伴い11歳から12歳まで上海に在住、コロナの影響で上海に帰れず、2年間の國內(nèi)生活を挾んで再び上海に戻る。上海に住んでいるうちに中國語に興味を持つようになり、高校からは中國語を本格的に學(xué)ぶために現(xiàn)地校に入學(xué)。

※本文は、第6回忘れられない中國滯在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中國と私」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2023年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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