Record China 2024年7月17日(水) 20時(shí)0分
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日本の海で36時(shí)間あまりに渡って漂流した後に救助された中國(guó)人女性が、自身の體験について語(yǔ)った。寫(xiě)真は白浜大浜海水浴場(chǎng)。
日本の海で36時(shí)間あまりに渡って漂流した後に救助された中國(guó)人女性が、自身の體験について語(yǔ)った。中國(guó)メディアの三聯(lián)生活週刊が16日付で報(bào)じた。
女性は今月8日午後7時(shí)半ごろに下田市白浜で海に入って遊んでいたがその後行方が分からなくなり、知人から通報(bào)を受けた警察や消防などが捜索。10日午前8時(shí)ごろにおよそ80キロ離れた千葉県沖で発見(jiàn)され、無(wú)事救助された。
以下は女性による回想の要約だ。
私は今年21歳。四川省成都市で育ちました。今大學(xué)3年生です。子どもの頃に遠(yuǎn)出をした経験がなかったので、大學(xué)生になってからあちこちに行きたいと思っていました。旅行に行くお金は毎回アルバイトで稼いで、今回の日本旅行もそうでした。日本を選んだのは、宮崎駿のアニメや東野圭吾の小説が好きだったのと、バブル経済後の日本社會(huì)がどのような様子なのかを知りたかったからです。
東京、箱根、伊豆に行くつもりでしたが、具體的な予定は立てていませんでした。私は內(nèi)陸育ちだったので、日本に著いてまず初めに海を見(jiàn)に行きました。海岸では海の流れなど危険は感じていませんでしたが、振り返ってみると海を漂流したあの夜は本當(dāng)に想定が甘かったと思います。私は(海で浮いている時(shí)に)ずっと1カ所にとどまるものだと思っていて、まさか波に巻き込まれて流されるとは思ってもいませんでした。日中の海は靜かでも、夜は潮の関係で波が大きくなるようです。
初めは海岸沿いを流されていて海辺に店舗や街燈の明かりがうっすらと見(jiàn)えました。その明かりは時(shí)間と共に弱くなっていき、私が気にする範(fàn)囲も岸から自分の周?chē)欷丐葔浃铯盲皮い蓼筏俊?/p>
周?chē)欷尾à?~3、3~4メートルくらいの高さで、聞こえるのは波の音だけ。その音は睡眠用の波の音聲とは違い、海の底に沈むような感覚を抱かせるものでした。ゲーム「原神」のキャラクターのフリーナのセリフのように「あとどのくらい?」と何度もつぶやきました。その時(shí)は自分がとてもちっぽけで、浮き輪の中でどんなにあがいても意味がないと感じていました。
波にたたかれて舞い上がったしょっぱくて苦い海水が何度も口の中に入ってきます。喉は乾いていましたが、海水は飲んではいけないというのを知っていたので毎回吐き出しました。體力を溫存して、できるだけ眠らないよう意識(shí)しました。いろんな體勢(shì)を試し、波が來(lái)る方向に背を向ければ顔に當(dāng)たるのを減らすことができると気付きました。
夜寒い中で水につかっているとますます虛脫していくため、頭を浮き輪にもたげるなど海水との接觸を減らそうと試みましたが、危険だと分かりやめました。結(jié)局、最善の姿勢(shì)は両脇に浮き輪を挾んでいることでした。
その場(chǎng)にとどまることができない狀況でどのように発見(jiàn)されるのか。いっそ死んだ方がいいのでは、と絶望したこともありました。頭を海に沈めて自分を窒息させようともしました。でも、あっさり死ぬことはできないのだと気付きました。
自分が海の底に沈んで體全體がむくみ、海底生物に飲み込まれるのを想像し、そうはなりたくないと思いました。このまま死んだら、家族や友人は私がまだ死んでいなくてどこかの島に流れ著いて生きているのではないかと思い続けることになる。それは彼らにとって殘酷すぎると思ったのです。
9日明け方、岸に明かりはもう見(jiàn)えず、右側(cè)は全て山になり、風(fēng)力発電の風(fēng)車(chē)が見(jiàn)えました。山の方に行けるかと思いましたが、波は私を沖の方へと押していきました。晝頃には、四方にまったく山は見(jiàn)えなくなりました。海しかないはずの左側(cè)に目を向けると建物が見(jiàn)え、それもすぐ近くにあるように感じました。しかしそれは、私が生まれて初めて見(jiàn)た蜃気樓(しんきろう)でした。
すると、油のようなにおいがして、3艘(そう)の小型船が見(jiàn)えました。私はそのうちの1艘に向かって大聲で助けを求めました。距離は20メートルもありませんでしたが、彼らは私の聲が全く聞こえないようでした。3艘はそれぞれ異なる場(chǎng)所で30分ほど停留し、それからまた場(chǎng)所を変えていました。何度叫んでも反応がなく、サンプル調(diào)査の無(wú)人船か何かかと思いました。
助けられずにがっかりしましたが、船が來(lái)るということは自分はまだ日本近海にいてそんなに遠(yuǎn)くには流されていないのだと考えました。太平洋の方に流されたら、絶対に見(jiàn)つからない。漂流中に2隻の大型タンカーも見(jiàn)ましたが、あまりに大きすぎて助けを呼んでも誰(shuí)にも聞こえないだろうと思いました。
ほどなくして、3艘の小型船が別の2艘の船を連れて戻ってきました。私は必死に“Help”と叫び続け、足をバタバタと動(dòng)かして波を立てて自分が死體ではないことをアピールしました。船は20分ほど止まってからまた去ってしまいました。私を助けに來(lái)た船かどうかは分かりませんが、きっとこの情報(bào)を伝えてくれるだろうと信じていました。(後編に続く)(翻訳?編集/北田)
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