<日本人の忘れられない中國(guó)>現(xiàn)地で働くことに憧れていた過去の自分へ

日本僑報(bào)社    2024年11月5日(火) 1時(shí)0分

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降り立った上海。さぞかし輝かしい中國(guó)OL生活が始まるかと思いきや、そうではなかった。

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2019年4月30日、私は新卒で入社した會(huì)社を辭めた??证椁⒄Z(yǔ)圏への留學(xué)だったら周りの反応は大きく違っていたかもしれない。私が會(huì)社を辭める理由は紛れもなく「中國(guó)で働きたいから」である。日本で3年働き、中國(guó)の就労ビザを獲得する條件を満たした私は、中國(guó)にある會(huì)社に転職することを決めた。

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「日本が嫌いになったの?」「なんで英語(yǔ)圏じゃないの?」「中國(guó)で本當(dāng)にやっていけるの?」など、マイナスな聲の方が多かった気がするが、當(dāng)時(shí)26歳の私は日本から住所を抜き、中國(guó)に永住する気持ちで一人上海へと旅立った。もちろん、中國(guó)語(yǔ)がペラペラなわけでもないし、現(xiàn)地に友達(dá)がいたわけでもない。それでも行動(dòng)に移したのは、「一度きりの人生なのにやらずに後悔する方が怖かったから」である。

中國(guó)語(yǔ)の美しさ、中國(guó)人の情熱さ、そして発展が目まぐるしい國(guó)、中國(guó)。大學(xué)の第2言語(yǔ)で中國(guó)語(yǔ)を選択して以來、中國(guó)の全てに魅力を感じ、中國(guó)現(xiàn)地で働くことがいつの間にか私の人生において最大の夢(mèng)となっていた。2019年5月7日、そんな思いを胸に降り立った上海。さぞかし輝かしい中國(guó)OL生活が始まるかと思いきや、そうではなかった。

想像通りであるが、中國(guó)語(yǔ)という言葉の壁にぶつかった。日本でHSK5級(jí)は取得していたものの、いざ中國(guó)語(yǔ)の環(huán)境に飛び込むと全く歯が立たない。なぜ、働く前に言語(yǔ)學(xué)校に通うという選択をしなかったのか、當(dāng)時(shí)は本當(dāng)に後悔したのを覚えている。それでも日本語(yǔ)ができる中國(guó)人の同僚のおかげで生きていくことはできたものの、「中國(guó)語(yǔ)が好きだから、中國(guó)に來た」なんてことは、口が裂けても言うことができなかった。中國(guó)人の同僚が笑っているのに、聞き取れないから話についていけない。會(huì)議に出席しても、何を話しているのか全くわからず、毎回忙しい同僚の手を止めさせて確認(rèn)しなきゃいけない。

仕事は日本人のお客さん対応がメインだったため、中國(guó)にいるというのに日本語(yǔ)と中國(guó)語(yǔ)の使用割合は7:3 。中國(guó)人家庭にホームステイをしたり、週末は中國(guó)人の友達(dá)と交流したりするも、なかなか上達(dá)しない。あまりにもつらすぎて、街で見知らぬ中國(guó)人の方たちに対し「この人たちはみんな中國(guó)語(yǔ)ペラペラでいいな~。私の日本語(yǔ)能力を1%あげるから、0.1%ずつ中國(guó)語(yǔ)能力を私にくれないかな」と本気で願(yuàn)うほどであった。

日本に帰れば「中國(guó)語(yǔ)ペラペラなんでしょ?」と期待され、中國(guó)現(xiàn)地では同僚の中で一番中國(guó)語(yǔ)が下手。(日本で生まれ育っているので當(dāng)たり前なのだが)そのギャップが一番つらかった。自己肯定感が下がりきったところで、泣きながら言語(yǔ)交換アプリであるHello Talkにその胸の內(nèi)を綴った?jī)?nèi)容を投稿。ありがたいことにたくさんの方から勵(lì)ましのメッセージを頂いた。

その中でも一番ハッとさせられたのは、次の言葉である。

「別這樣自卑。你在中國(guó)的時(shí)候,你的日語(yǔ)比任何人都好,而且回到日本后,你的中文比許多日本人都好?!梗à饯螭胜吮跋陇筏胜い?。あなたは、中國(guó)にいる時(shí)は周りの誰よりも日本語(yǔ)が上手で、日本に戻った時(shí)は多くの日本人より中國(guó)語(yǔ)が上手な人だよ)

名前も顔も知らない人からのメッセージであったが、當(dāng)時(shí)の私は涙が出るほどこのメッセージに勵(lì)まされた。たった1年中國(guó)にいるというだけでなぜ中國(guó)語(yǔ)がペラペラになるなどと、私は思い上がっていたのか?!副跋陇筏皮い皮猡膜椁い坤薄¥扦胜い长趣瑜辘?、できることに目を向けるべきなのだ」。メッセージをくれた方とこそ繋がることはできなかったが、この投稿を機(jī)に上海で日本語(yǔ)を勉強(qiáng)している同い年の女性や、日本で同じ思いをしている中國(guó)人留學(xué)生と知り合い、再び中國(guó)OL生活を奮闘することができた。

あれから4年の月日が経った現(xiàn)在、私は日本で中國(guó)企業(yè)OLをしている?!袱丹工酥袊?guó)語(yǔ)ペラペラなんでしょ?」と聞かれたら、私が理想とするレベルとはまだまだギャップがあるが、事実として私は今、中國(guó)語(yǔ)を使って仕事をしている。今でも劣等感を感じてしまう時(shí)があるが、その時(shí)は毎回4年前に見知らぬ人が送ってくれたあのメッセージを思い出す。

中國(guó)と縁もゆかりもなかった私が、なぜ今も中國(guó)に攜わりながら働けているのか。それは紛れもなく、あの時(shí)「行動(dòng)したから」、ただそれだけのように思う。もちろん、つらいこともたくさんあったが、26歳の自分が決斷した「中國(guó)で働く」という選択に少しも後悔はない。

今振り返ると、「全て意外となんとかなる」という思いだが、數(shù)年前必死に中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)していた過去の自分が今の自分を見たら、きっと眩しいくらいに輝いている。あの時(shí)勇気をもって中國(guó)へ行くことを決斷した過去の自分に感謝すると同時(shí)に、數(shù)年後の自分がもっと輝いて見えるよう、當(dāng)時(shí)の気持ちを忘れずに一度きりの人生をこれからも謳歌していきたい。

■原題:中國(guó)で働くことに憧れていた過去の自分へ

■執(zhí)筆者プロフィール:小石川 美穂(こいしかわ みほ) 會(huì)社員

1992年千葉県生まれ。昭和女子大學(xué)卒業(yè)後、ファッション通販サイトを運(yùn)営する會(huì)社に就職し、物流管理業(yè)務(wù)に従事。26歳の時(shí)に現(xiàn)地採(cǎi)用として上海のEC代理運(yùn)営會(huì)社へ転職した後、現(xiàn)在は北京に本社を構(gòu)える中國(guó)企業(yè)の日本支社にて日々奮闘している。

※本文は、第6回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中國(guó)と私」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2023年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

忘れられない中國(guó)

※本記事はニュース提供社の記事であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。すべてのコンテンツの著作権は、ニュース提供社に帰屬します。

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