CRI online 2024年11月13日(水) 15時(shí)50分
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山西省太原市磺廠村でこのほど、南北朝期の北朝の最初の王朝である北魏の後期の石窟が発見(jiàn)されました。
中國(guó)北部の山西省太原市磺廠村でこのほど、南北朝期の北朝の最初の王朝である北魏(386~534年)の後期の石窟が発見(jiàn)されました。時(shí)代については、5つの王朝が成立した北朝(439~581年)では、北魏以降の王朝の存続期間が短かったので、北朝全體の後半に開(kāi)削された石窟でもあります。考古學(xué)者の研究によると、これは太原市の領(lǐng)域で最も早く開(kāi)削された石窟の一つだったとのことです。
この石窟は磺廠村の北側(cè)の山の山腹にあり、南に向いていて長(zhǎng)さ、幅、高さはいずれも1メートルほどです。石窟內(nèi)部の3面の石壁にはそれぞれ仏壇が施されています。それぞれの石壁に彫刻された仏像がまとっている服裝と帯は鮮明で、北魏の孝文帝の改革様式に合致しています。都が洛陽(yáng)に移された後の石窟彫像蕓術(shù)は漢民族化していき、南朝の士大夫の風(fēng)格になっていきました。発見(jiàn)された石窟の、中から外に向かって右側(cè)の壁(西壁)には彌勒菩薩の坐像があり、これは北魏末期の様式です。
この石窟を調(diào)査した山西大學(xué)歴史文化學(xué)院の劉勇特任研究員によれば、太原山西文化區(qū)には中古時(shí)期の仏教遺跡が非常に多く、うち天龍山石窟、龍山石窟、童子寺などが最も有名です。これらの有名な石窟寺院の周辺には數(shù)多くの小型の石窟や彫像があります。例えば天龍山の近くの福慧寺石窟や懸甕山石窟、龍山石窟周辺の瓦竈村石窟、姑姑洞石窟、石門(mén)寺石窟、蒙山周辺の石荘頭石窟などです。磺廠村石窟は時(shí)代の特徴が鮮明で、開(kāi)削されたのは北魏延昌3年(公元514年)と分かるなど、多くの情報(bào)が得られました?;菑S村石窟の発見(jiàn)は、考古學(xué)界の太原山西石窟地域の豊富さについての認(rèn)識(shí)をさらに広げ、山西石窟寺の研究に新たな時(shí)間座標(biāo)を提供してくれると見(jiàn)られています。(提供/CRI)
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