Netflixで配信中のアニメ「チ。-地球の運動について-」は隠れた名作!―香港メディア

Record China    2025年1月9日(木) 23時0分

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5日、香港メディアの香港01は、日本のアニメ「チ。-地球の運動について-」に関するレビュー記事を掲載した。寫真はNetflix。

2025年1月5日、香港メディアの香港01は、日本のアニメ「チ。-地球の運動について-」に関するレビュー記事を掲載した。(本記事はネタバレを含みます)

記事はまず、「Netflixで配信中の『チ。-地球の運動について-』は、同名の漫畫を原作としたアニメで、今季のダークホース的な存在となっている。一部のファンから『隠れた名作』と絶賛されているが、その理由の一つは、タイトルが教科書のような物理?地理系アニメを連想させ、多くの人が視聴をためらっているためだと言われている。しかし実際には、科學(xué)的真理を追求しながら、信仰や人間性についても深く掘り下げられており、多くの視聴者が感動の涙を流している。登場人物たちが真理への執(zhí)念を見せる姿やその歴史の継承が胸を打つ。さらにストーリーだけでなく、タイトルやオープニング曲とエンディング曲の制作にも巧妙な工夫が凝らされている」と紹介した。

そして、「物語の舞臺は中世ヨーロッパ。時代設(shè)定は、コペルニクスが『天體の回転について』を発表する1543年以前の仮想の世界だ。この時代、教會や多くの人々は『天動説』を信じていた。天動説は、地球が宇宙の中心であり、すべての天體が地球を中心に回っているという學(xué)説だ。この理論は宗教とも結(jié)びついており、人間が神から特別な地位を與えられた存在であることを示すものとされていた。一方『地動説』(太陽が宇宙の中心で、地球はその周りを回る一つの天體であるという説)を研究したり、それを広めたりすることは、教會の思想に反するものだった。そのため、地動説を支持する者は異端者として弾圧され、拷問や処刑にまで追い込まれることもあった。本作の主人公たちは、この厳しい時代背景の中でも地動説を研究し、その普及に力を盡くす人々を描いている」と説明した。

続けて、「アニメ『チ。-地球の運動について-』の各エピソードの間に挿入される場面では、異なるキャラクターが『チ』と発音する様子が描かれている。中國語字幕はほとんどの場合『地』と訳されているが、一部のエピソードでは『知』や『血』と訳される場面もある。これらの文字にはそれぞれ深い意味が込められており、『知』は知識を、『血』は真理を追求する過程で払われる大きな代償を象徴している。このように、1文字で作品の重要な3つのテーマを表現(xiàn)している點に制作者の巧みさが見て取れる」と評した。

それから、「『チ。-地球の運動について-』では、章ごとに主人公が変わるため、それに合わせてオープニング曲とエンディング曲の映像も各キャラクターに関連したものに変更されている。この細やかな演出により、視聴者はキャラクターと一緒に時代が移り変わる感覚を味わえる。特に注目したいのは、日本のバンド?サカナクションが演奏しているオープニング曲の『怪獣』。現(xiàn)在、この『怪獣』は非常に人気がありながら、フルバージョンがまだ公開されていない。そのため、多くのファンが『早くフルバージョンを聴きたい!』と待ち望んでいる。ただし、ボーカル?山口一郎の健康狀態(tài)や制作スケジュールの調(diào)整もあるため、ファンにはもう少し忍耐が必要かもしれない」とした。

また、「『チ。-地球の運動について-』を見た際、筆者の頭に最初に浮かんだのは映畫『インターステラー』だった。この二つの作品はどちらも科學(xué)的なテーマや背景を用いながら、人間模様を描いている。そしてどちらの作品も、主人公が自分一人の力で真理を発見し伝えるのではなく『感動』や『愛』によって相手にメッセージを伝え、それを後世へと受け継いでいく點が共通している。例えば『チ。-地球の運動について-』の第1章では、主人公のラファウが地動説の研究を続けさせるため、自分の資料を渡すことなく、死を選ぶことで感動を殘し、後世に影響を與えた。同様に『インターステラー』では、主人公のマーフィー?クーパーがブラックホール內(nèi)で重力を使って娘にメッセージを送る。彼が娘に伝わると信じた理由は、愛こそが唯一、時間と空間を超越するものだからというものだった。これらの作品は、科學(xué)は理性だけのものではないという従來の考えを覆し、感情が科學(xué)の分野でも重要な役割を果たすことを示している。この視點が、両作品が涙を誘う理由の一つといえるだろう」と論じた。

さらに、「科學(xué)とは間違いだと証明される可能性があるもののことを指す。逆に、証明されることも、間違いだと否定されることもできないものは、信仰や意見と呼ばれる。作中では、多くのキャラクターが自身の長年の研究成果や信念が覆される場面に直面する。しかし、作中では繰り返し『不正解は無意味を意味しない』という概念が語られる。現(xiàn)実でも、すべての難題や分野において先人の指針があるわけではない。そのため、時には誤った仮説や意見が、真実を追求するための重要な手がかりになることもある」と述べた。

記事は、「物語の中で『先人』として描かれる人々は、人類を非常に小さく、取るに足らない存在と感じている。この『小さな存在』という捉え方は、神のように最初から全ての真理を知る存在ではなく、何も知らない狀態(tài)から始まるという意味だ。また、地上での生活を苦痛なものとし、神を信仰することで死後に幸福な天國へ行けると考えている。確かに、人類は初めから多くを持たない存在だった。しかし、さまざまな世代の人々の研究や経験を結(jié)びつけ、結(jié)果として後の時代には膨大な知識を得ることができた。このように何もないところから大きな成果を生み出せる力、つまり可能性の広さや柔軟性こそが、人類の本當(dāng)の強さなのではないだろうか」と結(jié)んだ。(翻訳?編集/巖田)

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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