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新疆大発展の基礎(chǔ)を築いた人々。左2人目が王恩茂氏。
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中國?新疆ウイグル自治區(qū)は1955年10月1日に成立した。成立祝賀式典の際、翌年竣工の人民劇場の模型の前で撮影された新疆大発展の基礎(chǔ)を築いた5人については「新疆大発展の基礎(chǔ)を築いた人々」と題して、すでに紹介した。賽福鼎?艾則孜、陶峙岳、包尓漢?沙希迪、王恩茂、董必武各氏である。筆者はその一人?王恩茂氏には長年にわたり厚情を頂いた。
【その他の寫真】
江西省永新県の貧農(nóng)の家に生まれた。1928年15歳で革命に身を投じ、30年中國共産黨に入黨。土地革命戦爭初期には湘贛地區(qū)での包囲討伐反対闘爭に參加。34年から中國工農(nóng)紅軍第六軍団と共に二萬五千里長征に參加し、政治部秘書長などを務(wù)めた。中國人民抗日戦爭が勃発すると紅六軍団は八路軍三五九旅団に改編され、王震旅団長(後に國家副主席)の下、副政治委員などを歴任し、華北抗日戦線を転戦。南泥灣大生産運動でも奮闘。41~42年延安の軍政學院?中央黨校で學び、中共西北高級幹部會議にも出席、また醫(yī)學生?駱嵐と結(jié)婚した。
1944年から46年八路軍南下支隊?王震司令官のもと副政治委員として延安から豫鄂?山西?河南?湖北?江西?湖南?広東?陝西?甘粛省などを転戦。以後も各地で奮戦し、1949年10月14日第二軍を率いて甘粛安西から東新疆の要衝ハミに入り、12月1日南新疆の要衝カシュ到著、數(shù)萬の群衆(zhòng)から熱烈に迎えられ、國民黨から新疆を平和裏に解放した。
その後も新疆にとどまり、人民解放軍新疆軍區(qū)司令官などを務(wù)め、1955年9月には解放軍中將となった。同年10月新疆ウイグル自治區(qū)成立後は中國共産黨新疆ウイグル自治區(qū)委員會第一書記などを擔當?!肝幕蟾锩箷r期(1966~76)は林彪ら反革命集団から北京の車両工場工員扱いされるなど厳しい政治迫害を受けた。75年毛沢東主席の配慮で南京軍區(qū)副政治委員となり、「四人組」が粉砕されたのち吉林省第一書記(80年10月吉林省農(nóng)業(yè)視察団長として訪日し北海道の農(nóng)場など視察)、瀋陽軍區(qū)副司令官などを務(wù)めた。
1981年王震の推挙と鄧小平の判斷をへて黨中央の命により新疆に戻り、新疆ウイグル自治區(qū)委員會第一書記?新疆軍區(qū)第一政治委員などを擔當。85年には中國共産黨新疆ウイグル自治區(qū)顧問委員會主任となり、86年から93年まで中國人民政治協(xié)商會議全國委員會副主席を務(wù)め、その後も新疆の最高実力者として盡力、2001年北京で逝去、享年88歳。李鵬?胡錦濤?溫家寶?鉄木尓達瓦買提ら要人が弔問した。以上のように王恩茂氏は30數(shù)年にわたり新疆大発展に人生を捧げた。2013年には黨中央による生誕100周年記念座談會、新疆黨宣伝部などによる記念DVD刊行などが行われた。中國では中華人民共和國成立の1949年に新疆を平和裏に解放し発展に盡くしたことから「開國中將」とも稱されている。
1986年に始まった。筆者は5月キジル千仏洞を參観、「人類共通の文化遺産」と直感。修復資金10萬人民元寄付協(xié)議書を新疆文化庁などと交わし、王恩茂氏の許可により10月末に振り込んだ。87年5月、新疆文化庁との「日中友好キジル千仏洞修復保存協(xié)力募金」調(diào)印式で、王氏と會見。文化庁作成の募金パンフレット用の王氏の中國語「歓迎の言葉」を読んだ氏は「遺産」の前に「文化」の二文字を挿入。筆者は「日中友好キジル千仏洞修復保存協(xié)力會」を設(shè)立し、募金を開始。88年4月に続き、89年8月には王氏の列席をえて第二次贈呈式を行い、計1億円余を文化庁へ寄贈し本格的修復保存工事を開始した。王氏揮毫の記念碑もキジル千仏洞に建立された。それらへの禮狀を出したら、溫かい便りを頂いた。キジル千仏洞は2014年6月「世界文化遺産」となった。
1993年6月、伊藤忠商事の中澤忠義副社長一行を王恩茂氏?王楽泉黨副書記?鉄木尓達瓦買提政府主席に紹介、伊藤忠商事は新疆政府と交流協(xié)定を調(diào)印。歓迎宴ではお疲れの王氏の肩を揉んだ。95年8月の宴席ではサイン入り絵畫を頂いた。
1995年10月、新疆ウイグル自治區(qū)成立40周年祝賀式典には妻と共に招かれ、王氏から『王恩茂日記』を頂いた。王氏が各地転戦中の1934年10月23日から49年11月30日までの奮闘が記録されている。江沢民総書記の題字をえて、95年9月に出版された。日本に関係する部分も多く、日本語版を出したいと提案。日本語版出版委員會の顧問は王楽泉氏、筆者が主任、李康寧新疆黨宣伝部長が副主任を務(wù)め、翻訳は上海外國語大學日本語學部長と助教授が擔當し、96年10月に『王恩茂日記』日本語版(全5巻約185萬字)を刊行。市販はせず國會図書館?主要図書館?中國関係學部を設(shè)置する大學などに寄贈した。
1996年12月、北京の人民解放軍総病院に入院中の王恩茂氏を見舞った。視力を失いつつあるのに「小島さん頑張って」と逆に勵まされた。その模様は畫家が描きDVD「王恩茂」(45分×全5巻?CCTVでも一部放送)に収められた。2001年4月、王恩茂氏逝去の報に接し、駱嵐夫人と新疆政府へ弔電FAXを発した。2011年12月、王氏の次男?王北會氏(元南疆軍區(qū)副司令官)による歓迎宴では、王氏との故事を紹介し『王恩茂日記』日本語版を謹呈した。
新疆の解放?穏定?発展に生涯を捧げた王恩茂氏と駱嵐夫人は「第二の故郷?新疆」ウルムチの革命烈士陵園に眠っている。また人民広場には王震國家副主席と王氏が揮毫した「中國人民解放軍新疆進軍記念碑」が聳えている。
新疆については一部でネガティブな報道が流れ、一部の人々は排他的情報の影響を受けている。溫かい人情の新疆、美しい新疆、世界遺産いっぱいの新疆、美味しい食べ物の新疆、歌と踴りの新疆へ是非お出かけください。筆者は今年も訪れ、ウルムチ市九龍生態(tài)公園內(nèi)の「王恩茂氏と庫尓班爺さんの交流像」、アラル市の「三五九旅団屯墾記念館」も參観したい。今年10月1日は中華人民共和國成立76周年、新疆ウイグル自治區(qū)成立70周年、祝賀行事が盛大に開催されるだろう。
■筆者プロフィール:小島康譽
浄土宗僧侶?佛教大學內(nèi)ニヤ遺跡學術(shù)研究機構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。
ブログ「國獻男子ほんわか日記」
<新疆は良いところ>小島康譽 挨拶―<新疆是個好地方>
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