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高校生の時(shí)、申し訳ない話だが、クラスメイトたちを見(jiàn)ながら我知らず、「先生になったら、毎日こんな困り者たちと向き合わなければならないのか」と感じていた。
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大學(xué)に入るまで日本語(yǔ)を全くしゃべれなかった私が、日本語(yǔ)を?qū)煿イ工毪瑜Δ摔胜毪趣稀⒄堡搜预盲茐?mèng)にも思わなかった。だが、今ではこのような作文を書(shū)けるようになった自分を誇りに思う。とはいえ、今日は自畫(huà)自賛ではなく、私の心の奧底に埋もれている本音を吐きたい。
高校生の時(shí)、申し訳ない話だが、クラスメイトたちを見(jiàn)ながら我知らず、「先生になったら、毎日こんな困り者たちと向き合わなければならないのか」と感じていた。そこで將來(lái)に教育職だけは避けようとしていた。
それなのに大學(xué)に入ってから、そんな考えは180度変わった。自分の関心事に沒(méi)頭し、執(zhí)拗な追究で知識(shí)の限界を突破するということが、何だかロマンチックに感じられたのだ。講壇に立って情熱を燃やす先生方の姿を見(jiàn)ながら、いつの間にか言語(yǔ)學(xué)の分野で研究を行う教師になりたいという夢(mèng)を抱くようになった。
私は度々、日本語(yǔ)學(xué)科の教員紹介サイトを盜み見(jiàn)る?!竷?nèi)偵」というわけではなく、「どうすれば先生方のようになれるか」「私も先生方のような人になれるか」という一種の期待感なのだ。そして、それ以上の願(yuàn)望を持って、自分のキャリアを計(jì)畫(huà)してみる。
そんなある日、いつものようにサイトをクリックしたら、驚いたことに新たに入職される先生のプロフィールがアップデートされていた。學(xué)科の先輩で、先日、日本で博士號(hào)を取得して母校へ戻って來(lái)られるということ。私もそうなれるか、私ならできるか。
昨年、生意気な試みで論文コンクールに応募した。自分なりに日本語(yǔ)の「テミル」構(gòu)文に興味があって、その中國(guó)語(yǔ)訳の問(wèn)題について論文に書(shū)いてみたが、殘念ながら結(jié)果は火を見(jiàn)るよりも明らかだった。しかしながら、先生のご指導(dǎo)の下、多くのことを?qū)Wべた掛け替えのない機(jī)會(huì)だった。いくども書(shū)き直すうちに、再び教師という職業(yè)の魅力に惹かれ、先生に比べて私はまだ極めて小さな苗木だということが分かった。授業(yè)でしっかり頑張っているといっても、やはり學(xué)ぶべきことがまだまだ山ほどあるということを改めて感じた。
私は中國(guó)生まれだが朝鮮族なので、日中韓三ヶ國(guó)語(yǔ)いずれも學(xué)ぶことができた。將來(lái)的には自分のこのような點(diǎn)を生かして、言語(yǔ)學(xué)をめぐる研究を行いたいと思っている。
けれども何だか、將來(lái)を期待していながらも、いつも漠然とした不安を抱えている。頑張っている自分自身を見(jiàn)ても、「これで、果たして正しいのか」と不安に思う。そんな時(shí)はふと、1年生の時(shí)に先生がおっしゃった話を思い出す。
「私は高校を卒業(yè)した後、すぐ大學(xué)に進(jìn)學(xué)したわけじゃない。一度きりの選択が後半生を決めるかもしれないのに、どうしてそんな若いうちに決定を下さなければならないのかしら。それで私は、まず勤め口を得た後、日本語(yǔ)教師になりたいということに気づいて、博士まで勉強(qiáng)して今に至ったの」
20歳を目前に控えた今、ようやく未熟さから徐々に抜け出しているような気がする。つまり、人生に関することを深思熟考するには今までの自分では幼すぎたのだろう。だがそうであっても、道を歩いていけば、自ずと答えが見(jiàn)つかるはずだ。道を選ぶ勇気よりも、歩いていく勇気を大切にしたい。
「一人で歩いたつもりの道でも、始まりはあなただった」。宇多田ヒカルの『道』という歌だ。日本語(yǔ)を?qū)Wび始める前、ローマ字を読みながら聴いた人生初の日本語(yǔ)の歌だった。今、私は慶應(yīng)義塾大學(xué)で交換留學(xué)生として勉強(qiáng)している。偶然にも慶應(yīng)の先生方は、擔(dān)任の先生が留學(xué)していたときの恩師だった。私の歩いている道。その始まりは未熟だったが、先輩たちの足跡を辿りながら私は歩いている。また誰(shuí)かが歩いてくるだろう??帳?、重なっている道で、私は夢(mèng)を追っている。
■原題:道
■執(zhí)筆者:池翰林(中國(guó)人民大學(xué))
※本文は、第20回中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール受賞作品集「AI時(shí)代の日中交流」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2024年)より転載?編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。
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