日本語教育事業(yè)に生涯を捧げた天津外國語大學元學長の修剛氏が死去―中國

人民網(wǎng)日本語版    2025年4月30日(水) 13時30分

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日本語教育事業(yè)に生涯を捧げた天津外國語大學元學長の修剛氏が死去した。寫真は天津外國語大學。

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天津外國語大學は26日深夜に訃報を発表し、天津外國語大學の黨委員會元副書記?元學長の修剛(シウ?ガン)氏が急病により、治療のかいなく同日午前1時に享年68歳で死去したことを明らかにした。

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同大によると、修剛氏は1957年7月に遼寧省丹東市で生まれ、1977年7月に中國共産黨に入黨。1975年8月より教職に就く。教授、博士課程指導教授として教鞭を執(zhí)り、國務院政府特殊手當を享受する専門家で、天津市の労働模範だった。1978年2月から1982年2月まで遼寧師範大學日本語専攻學部で學び、1982年2月から1984年7月まで天津外國語學院日本語専攻修士課程で學んだ。

1984年7月から母校で教鞭を執(zhí)り、日本語學部の副主任?主任、天津外國語學院の院長補佐?副院長?院長、天津外國語大學の黨委員會副書記?學長を歴任した。2019年2月に定年退職。 修剛氏は教育部大學外國語教育指導委員會の副委員長委員と日本語サブ委員會の委員長委員を務め、中華日本學會第7期理事會の副會長を務めた。中國翻訳協(xié)會の副會長、中國日本語教育研究會の名譽會長なども務めた。


修剛氏は日本語教育事業(yè)に生涯を捧げ、教育教學の第一線に立ち続け、謹厳な態(tài)度で學問を修め、人材の育成に一心に取り組み、外國語の分野で多くの優(yōu)れた人材を育成した。教師や學生に深く愛され、學問の世界でも同僚に深く尊敬された。

修剛氏の告別式は29日に天津市第二斎場で執(zhí)り行われた。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KS)

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