<寫真特集>日本統(tǒng)治時(shí)代の高級(jí)料亭がいまなお?dú)垽肱_(tái)南、見る人を一瞬の時(shí)空の旅に―臺(tái)灣

蕭文彬   2016年6月28日(火) 15時(shí)45分

臺(tái)灣西南部の臺(tái)南市に、日本統(tǒng)治時(shí)代に多くの客をもてなした高級(jí)料亭「鶯料理」の建物が殘されている。

臺(tái)灣西南部の臺(tái)南市に、日本統(tǒng)治時(shí)代に多くの客をもてなした高級(jí)料亭「鶯料理」の建物が殘されている。

「鶯料理」の誕生は約100年前の1923年。同年4月には當(dāng)時(shí)皇太子だった昭和天皇が食事を召し上がっており、政財(cái)界の有力者も頻繁に足を運(yùn)んだという。日本式の美しい庭園を持つ同料亭はもともと200坪の広さがあったが、現(xiàn)在殘っているのは3分の1ほどだ。古びた木造建築を前にすると、一瞬タイムスリップしたような感覚すら覚える。この大きなガラス窓は、當(dāng)時(shí)どのような光景を映していたのだろう。

この作品を撮影したのは蕭文彬氏。臺(tái)灣臺(tái)南市で1956年に生まれ、幼少時(shí)代は貧しい家庭に育つ。父の「家族寫真を撮るためカメラを借りたい」との申し出を親戚が斷ったことが、プロのカメラマンを目指すきっかけとなった。初めて手に入れたカメラは中古のペンタックス。これにより、本格的な撮影技術(shù)の學(xué)習(xí)をスタートさせた?,F(xiàn)在は、臺(tái)灣南部を代表するカメラマンとして中華南群撮影學(xué)會(huì)理事長や臺(tái)南市撮影學(xué)會(huì)の副理事長を務(wù)める。2015年12月には臺(tái)南市の新光三越で個(gè)展を開催した。(編集/野谷

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