<寫(xiě)真特集>租界時(shí)代の洋館が建ち並ぶエリア―天津五大道

呂厳   2017年7月8日(土) 15時(shí)40分

中國(guó)出身の呂厳が、天津市の中心に位置する五大道を紹介する。

中國(guó)出身の呂厳(リュー?イエン)が、天津市の中心に位置する五大道を紹介する。

天津中心部の南側(cè)にある五大道は、1860年12月17日に英國(guó)租界とされた。1911年の辛亥革命後は北京で暮らしていた清朝皇帝の數(shù)多くの親族が天津租界に仮の住まいを構(gòu)え、さらに豪商や各界の名士、北洋軍閥政府時(shí)代(1912?1928年)の要人もここに足跡を殘している。大統(tǒng)領(lǐng)や総理、省長(zhǎng)、市長(zhǎng)など100人余りが下野後にここで仮住まいしたのだ。

1920?30年代、五大道にはさまざまな國(guó)の様式で2000軒余りの洋館が建てられた。エリアの広さは1平方キロメートルを超える。最も典型的とされる約300軒のうち、英國(guó)式は89軒、イタリア式は41軒、フランス式は6軒、ドイツ式は4軒、スペイン式は3軒。このほか、ルネサンス式やバロック式、古典主義や折衷主義、中國(guó)と西洋の要素を融合した建物などもあり、「萬(wàn)國(guó)建築博覧會(huì)場(chǎng)」とも稱される。現(xiàn)在の中國(guó)で最も整った狀態(tài)で殘されている洋風(fēng)建築群だ。(編集/野谷

●呂厳(リュー?イエン)

4人家族の長(zhǎng)男として文化大革命終了直前の中國(guó)江蘇省に生まれる。大學(xué)卒業(yè)まで日本と全く縁のない生活を過(guò)ごす。23歳の時(shí)に急な事情で來(lái)日し、日本の大學(xué)院を出たあと、そのまま日本企業(yè)に就職。メインはコンサルティング業(yè)だが、さまざまな業(yè)者の中國(guó)事業(yè)展開(kāi)のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中國(guó)に滯在するほど、日本と中國(guó)を行き來(lái)している。興味は映畫(huà)鑑賞。好きな日本映畫(huà)は小津安二郎監(jiān)督の『晩春』、今村昌平監(jiān)督の『楢山節(jié)考』など。

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