「一瞬、気が遠のきそうだった」=私が北京で體験した「地獄」―中國人學(xué)生

日本僑報社    2015年9月4日(金) 8時56分

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日本を訪れる中國人観光客が増加する一方、マナーの悪さも指摘されている。中國人の「マナーの悪さ」について、北京外國語大學(xué)の王雨舟さんは自身の體験をもとに次のようにつづっている。

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昨年末から、日本を訪れる中國人観光客が増加している?!?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=爆買い'>爆買い」が日本経済に良い影響を與えてくれる一方、大聲で騒ぐ、ごみを道端に捨てるなどのマナーの悪さも指摘されている。中國人の「マナーの悪さ」について、北京外國語大學(xué)の王雨舟さんは自身の體験をもとに次のようにつづっている。

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「ちょっとそこの人、線の後ろに下がれ!」。北京の地下鉄のホームに立ち盡くし、戸惑っている私の耳に、こういった駅員が乗客に怒鳴る聲が響いてきた。延々と続く人の波に加え、あちこちに起きる「やめろ!」「押すなよ!」と叫ぶ甲高い聲で私は一瞬気が遠のきそうだった。

この大都市に來てまもなく1年がたつところだが、勇気を出して學(xué)校を離れ、観光に行くのはこれが初めてだった。なぜかというと、北京の地下鉄が怖いからだ?;试挙寺劋长à毪猡筏欷胜い⑾容叅椤傅鬲zだ」と言われるほどの壯絶さだ。無理はないだろう?!甘朔饯胜い韦?、だって人が多いもの」。何かあるたびに中國人はすぐこの言葉を口にする。都合のいい言い逃れ文句だ。人が多いから、混むのもうるさいのも仕方がない。乗車する前から私もずっと自分にこう言い聞かせてきたが、「地獄」が出來上がった根本的な原因は、乗っている人が多いからなんかではないようだ。

われ先に席を取ろうとするおばさん、床につばを吐くおじさん、人の足を踏んでも謝らない子どもたち。傍若無人に大聲で電話をしたり、椅子に足を乗せたりする人も何人かいる。地獄のような1時間を経て、汗だらけになった私はようやく目的地の故宮にたどり著いた。堂々たる宮殿を前に、まるで別世界のような靜けさに包まれているが、なぜか虛しい気持ちでいっぱいになってきた。ふと學(xué)校をうろつく野良貓の白ちゃんの姿が頭に浮かんだ。もともとは血統(tǒng)の良い種類のようだが、真っ白な毛は汚れ、耳にもけがを負って見る影もない。なぜかその白ちゃんの姿は今の北京と重なった。長き歴史を持つ古都が、そこに住む人の手によって知らず知らずのうちに汚されてしまい、昔の清潔さと整然とした秩序をなくしてしまったのだ。

ここ何年か、國は國際的なイベントの招致に次々と成功し、そのたびに新たな高層ビルを建て、世界に大國としての姿を見せつけようとしている。その一方、われわれ國民にも、それ相応の素質(zhì)が求められている。かつての中國は貧乏だった。食えるだけで精一杯だった人たちにマナーなどを強要するものではなかった。しかし、今は生活が豊かになり、もうとっくに脫貧乏に成功したが、心の中は昔のまんまで、相変わらず人に何かを奪われるのが怖くて自己中心的である。そのためか、今の中國人は思いやりの心に欠けているように思われる。公共の場にいても、個人の都合を最優(yōu)先にするが故に、周りが見えなくなり、他人に迷惑を掛けても知らない顔をしてしまうのである。

中國人の持つべきマナーは何だろうか。この問題を投げかけられても、恥ずかしながらはっきりとした答えが出せない。しかしこの間、ある雑誌で偶然に見かけた「営みの心」という言葉は思えば當てはまるかもしれない?!缸苑证韦长趣肖辘藲荬颏堡毪韦扦悉胜?、他人のことにも気を配り、協(xié)力して住んでいるこの町をより良くするのも、なかなか夢のある話じゃないか」。こう思いながら、帰りの電車に足を向けた。(編集/北田

※本文は、第十回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、王雨舟さん(北京外國語大學(xué))の作品「営みの心」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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