月刊中國(guó)ニュース 2017年9月2日(土) 14時(shí)50分
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この「車中會(huì)談」はその後の事態(tài)の展開に決定的な意義があったと私は考えている。もちろん、姫外交部長(zhǎng)は北京市內(nèi)に戻り次第、周総理のもとに駆けつけた。寫真は筆者提供。
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この「車中會(huì)談」はその後の事態(tài)の展開に決定的な意義があったと私は考えている。
【その他の寫真】
もちろん、姫外交部長(zhǎng)は北京市內(nèi)に戻り次第、周総理のもとに駆けつけた。(文/周斌、翻訳/舩山むつみ)
1972年9月、首相に就任してまだ80日にもならない田中角栄が中國(guó)を訪問した。両國(guó)は「共同聲明」に署名し國(guó)交を回復(fù)した。この重大な外交活動(dòng)は周恩來(lái)総理がみずから手配し、直接指揮をした。幸いにも私は通訳として參加したが、これは一生忘れられない思い出になった。
【竹入メッセージ】
1972年7月5日、自由民主黨総裁選挙がおこなわれ、親臺(tái)灣派だった佐藤栄作前首相が後継者として育成してきた福田赳夫を圧倒的多數(shù)で破って、田中角栄が総裁に當(dāng)選し、日本の首相の座についた。田中は首相に就任すると、ただちに北京に人を派遣して、いかにして日中関係正常化を?qū)g現(xiàn)するか、中國(guó)側(cè)と話しあって、中國(guó)側(cè)の譲れない條件を探りたいと考えた。しかし、いくら考えても、自民黨內(nèi)にふさわしい人材を見つけることができなかったので、親しい友人だった公明黨委員長(zhǎng)の竹入義勝に助けを求めることにした。竹入が北京に到著すると、周恩來(lái)は會(huì)見して、竹入を中國(guó)人民のよき友人と呼んだ。私の記憶では、周恩來(lái)総理は主に以下の三つの問題について話した。
第一に賠償問題だ。周総理は言った。中國(guó)人民には日本に対して相応の賠償を要求する十分な理由と権利があるが、両國(guó)國(guó)民は代々友好関係を保つべきであり、そうすることができるはずだという信念にもとづいて、賠償の要求を放棄したいと思う。しかし、ここで説明しておかなければならないのは、そのことと、1952年に臺(tái)灣の蔣介石らが日本と「日本國(guó)と中華民國(guó)との間の平和條約」(日華平和條約。中國(guó)側(cè)は「日蔣條約」と呼んでいる)に調(diào)印したときに宣言した賠償要求の放棄とはいかなる関係もない。
第二に、日本は必ず、中國(guó)が提案している「政治3原則」を受け入れなければならない。すなわち、中華人民共和國(guó)が中國(guó)を代表する唯一の合法的政府であること、臺(tái)灣は中國(guó)の領(lǐng)土の不可分の一部分であること、そして、「日華平和條約」は非合法であり、無(wú)効であることの3原則である。
第三に、中國(guó)は日本に日米同盟の終了を求めず、日米安保條約を破棄することを中日國(guó)交回復(fù)の先決條件とはしない。しかし、同時(shí)に、日米両國(guó)間の協(xié)議は第三者である中國(guó)の利益を損ねるものであってはならない。
竹入は周総理の話に全面的に賛成した。ただ、「政治3原則」のうちの「『日華平和條約』は非合法であり、無(wú)効である」という點(diǎn)を田中総理が受け入れることは困難だろうと答えた。なぜかというと、日本の現(xiàn)行の政治制度は「三権分立」であるから、20年前に國(guó)會(huì)の討論を経て採(cǎi)択された條約を、行政當(dāng)局が「非合法であり、無(wú)効である」と宣言することは不可能であり、その権利もないと竹入は説明した。周総理はこれに理解を示し、日本が「政治3原則」を認(rèn)め、受け入れるという前提のもとで、友好的な協(xié)議をおこなって雙方が受け入れることのできる表現(xiàn)方法を見つけることができるだろうと答えた。
竹入の訪中後、田中は決意した。協(xié)議のすえ、両國(guó)政府は同時(shí)に宣言した。中國(guó)政府の招待に応えて、日本の首相田中角栄が9月25日から30日まで中國(guó)を訪問するというのであった。
【二度の波風(fēng)】
田中首相の訪中の直前、大きな紆余曲折と小さな妨害が相次いで発生した。
まずは紆余曲折だ。田中は訪中の10日前、自民黨副総裁の椎名悅?cè)嗓蚺_(tái)灣に派遣し、蔣介石?蔣経國(guó)父子に説明させた。また、自民黨の小坂善太郎、江崎真澄ら31名のベテラン國(guó)會(huì)議員を自らの訪中の先觸れをなす先遣隊(duì)として北京に派遣した。椎名は臺(tái)灣に到著後、田中首相がこのたび訪中するのは、一部のメディアが報(bào)道しているように長(zhǎng)年のつきあいのある親しい友人を捨てるという意味ではない、臺(tái)灣との現(xiàn)在の良好な関係を維持するという條件のもとで、中國(guó)共産黨との関係改善の可能性を求めるだけだと何度も発言した。
周総理は外國(guó)メディアの報(bào)道を通してこのような発言を耳にして激怒し、毎晩、小坂、江崎らの一行を人民大會(huì)堂に呼んで厳しく問いただした。椎名が臺(tái)灣に行っているのは個(gè)人としての行動(dòng)なのか、それとも日本政府を代表して行っているのか。個(gè)人的な行動(dòng)だとすれば、なぜ政府の特使と自稱しているのか。椎名が臺(tái)灣で広めている「二つの中國(guó)」という誤った理屈は彼個(gè)人の考えなのか、それとも、田中首相の考えなのか。正直に答えてもらいたい。周総理は彼らにそう言って迫った。
訪中団の客人たちはそれぞれ爭(zhēng)うように自説を述べた。椎名は日本政界の新臺(tái)灣派の代表的人物であるから、ろくでもないことを言うのも當(dāng)たり前だと言う者もいた。椎名の臺(tái)灣訪問を報(bào)道しているいくつかのメディアはもともと臺(tái)灣寄りなので、「根も葉もない報(bào)道をしている」可能性があるという者もいた。一方、田中は誠(chéng)実で信頼関係を大切にする人物であり、長(zhǎng)年の間、表でも裏でも悪意をもって中國(guó)を攻撃するような話はしたことがない、佐藤內(nèi)閣の時(shí)代にもそうだった、どうか彼を信頼してほしい、と力説する者が多かった。周総理はそれを聞きながらうなずいて言った。皆さんが言っている見方はどれも可能性があるが、私は田中首相が本當(dāng)に誠(chéng)実で信頼関係を大切にする人物だと固く信じることにする。
これで、今回の波亂はきれいに収まるはずだった。だが、次の日の午後に起こった出來(lái)事で、訪中団受け入れチームは全身に冷や汗をかくことになった。送別晩餐會(huì)の2時(shí)間前、外交部禮賓司(日本の儀典課にあたる)の韓敘司長(zhǎng)が緊急會(huì)議を招集し、非常に厳しい顔つきで言った。外交部はたった今、重大な情報(bào)を得た。晩餐會(huì)に出席する日本代表団のなかに「暗器」(衣服に隠せる小さな武器)を隠し持つ者がいて、この機(jī)に乗じて暗殺をたくらんでいる、というのだ。
出席した人々は全員あっけにとられて、異口同音に尋ねた。総理はご存じなのか。総理の指示はどうなっているのか。韓敘は答えた。総理はこうおっしゃっている。このたびの訪中団のメンバーは全員、非常に権威のある日本政界の知名人士ばかりだ。しかも、そのうちの半數(shù)以上はわれわれと長(zhǎng)年交流のある古い友人である。そんな卑劣で破廉恥なことをするはずはないと思う、と。
しかし、萬(wàn)一の事態(tài)に備えるため、接待チームは話しあっていくつかの予防策をとることにした。まず、晩餐會(huì)で料理を運(yùn)ぶ人民大會(huì)堂の女性服務(wù)員たちのかわりに、人民解放軍8341部隊(duì)(中央警衛(wèi)団)の男性隊(duì)員を配置につけた。また、周総理には他のテーブルをまわって挨拶し、乾杯する習(xí)慣があったが、それをやめてくれるよう、強(qiáng)く説得した。どうしてもやるというなら、メインテーブルの通訳が総理に同行し、まわった先のテーブルの通訳とともに総理の安全を確保することになった。また、他のテーブルの客人が自主的にメインテーブルに移動(dòng)してきて挨拶や乾杯をしようとしたら、メインテーブルの通訳が必ず総理の安全を確保するということになった。
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