<レコチャ広場(chǎng)>韓國(guó)人が見(jiàn)た中國(guó)、「釣り銭投げる店員」から「拝金主義」まで

Record China    2011年1月7日(金) 11時(shí)46分

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3日、中國(guó)滯在中の韓國(guó)人ブロガー、金宰賢氏のブログ「ある韓國(guó)人の目に映った中國(guó)」が中國(guó)のブログサイトに掲載された。寫(xiě)真は上海。

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2011年1月3日、中國(guó)滯在中の韓國(guó)人ブロガー、金宰賢氏のブログ「ある韓國(guó)人の目に映った中國(guó)」が中國(guó)のブログサイト?鳳凰博報(bào)に掲載された。以下はその內(nèi)容。

その他の寫(xiě)真

1998年12月末、初めて海外に出る私は期待と不安を胸いっぱいに抱きながら中國(guó)行きの飛行機(jī)に乗った。當(dāng)時(shí)の私の中國(guó)に対するイメージは「知らない社會(huì)主義の國(guó)」。北京の空港で私を出迎えた緑色の軍服を著た人民解放軍兵士の鋭い眼差しが印象的だった。

北京の大學(xué)でのわずか1カ月の短期留學(xué)だったが、私は思いもよらぬ體験をした。それは近くの割と大きな店で買(mǎi)い物をした時(shí)のこと。険しい表情の店員が釣り銭を投げてよこしたのだ。中國(guó)に対する熱い思いでいっぱいだった私にとって、頭から水をかけられたような衝撃だった。

短期留學(xué)が終わった私は生まれて初めて夜行列車(chē)に乗って上海に向かった。全身をペプシコーラの真っ青な広告で覆い盡くされた路線バス、真っ赤なブラジャー姿の西洋人モデルがにっこりほほ笑んでいる看板広告…。私は驚いた。そして、中國(guó)を単なる「社會(huì)主義の國(guó)」だと思っていた最初のイメージは大きく覆された。

4年後の2003年、私は再び中國(guó)にやって來(lái)た。成都のホテルで一緒になったオーストラリア人は「中國(guó)人が全員車(chē)を持つようになったら、大変な量の排気ガスが排出される」と言っていた。その時(shí)は「まだまだ先のこと」だと思っていたが、中國(guó)は私の想像を遙かに超えるスピードで変化していった。

北京五輪の2年前にあたる2006年から北京大學(xué)のMBAコースで學(xué)び始め、中國(guó)に対する理解はさらに深まった。そして偶然にも上海萬(wàn)博開(kāi)催の2年前から今度は上海に滯在する機(jī)會(huì)にも恵まれた。2つの都市の“整形ぶり”は見(jiàn)事だった。中國(guó)はこの10年の変化が最も大きい國(guó)の1つだと言えるだろう。

それから、中國(guó)で生活していると、中國(guó)人はなぜこれほど拝金主義なのかと考えさせられる。まるで札束だけがこの世で唯一価値があるものだと思っているようだ。私は中國(guó)人には信仰がないからだと思っていたが、日本の友人は「日本人もほとんどが無(wú)宗教だが、これほど拝金主義ではない」と否定した。ならば恐らく、社會(huì)に統(tǒng)一した価値観が存在しないことが大きいのではないか。

中國(guó)は文化大革命で伝統(tǒng)的な価値観や思想が見(jiàn)事に打ち砕かれた。その後、中國(guó)人が新たな価値観を模索し、形成しようした時(shí)にちょうど良いタイミングで拝金主義が入り込んでしまったのではないか。中國(guó)は今、量より質(zhì)の時(shí)代に移り変わる大事な時(shí)期。これからの健全な発展のため、良質(zhì)な価値観へのすり替えを急ぐべきだろう。そうでなければ、金持ちや官僚のどら息子が幅を利かせる社會(huì)はこれからも変わらない。(翻訳?編集/NN)

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