<コラム>命からがら韓國に亡命した北の若者の今

木口 政樹    2018年11月28日(水) 20時(shí)50分

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2017年の11月に、板門店のJSAにジープで乗り込んで脫北したオ?チョンソン氏のことは記憶に新しいかと思う。このオ?チョンソン氏のインタビュー記事が朝鮮日報(bào)に出ていた。記事を參考にしながら筆者のことばでお屆けしたい。寫真は板門店。

2017年の11月に、板門店(パンムンジョム)の共同警備區(qū)域(JSA)にジープで乗り込んで、北の兵士たちから銃撃を受けながらも命からがら南側(cè)に到達(dá)し、南の兵士らに介抱されて病院に運(yùn)ばれ、現(xiàn)代のブラックジャックとも例えられるイ?グクジョン(李國鍾)教授の手術(shù)で奇跡的に命を取りとめたオ?チョンソン(呉青成)氏(25)のことは記憶に新しいかと思う。

このオ?チョンソン氏のインタビュー記事が朝鮮日報(bào)に出ていた。記事を參考にしながら筆者のことばでお屆けしたい。

北朝鮮から脫北した人たちが一時(shí)教育を受けられるハナ院という施設(shè)がある。このハナ院、正式名稱は「北朝鮮離脫住民定著支援事務(wù)所」。読んで字の如くである。

北朝鮮の「主體思想」體制で數(shù)十年間暮らしてきた人々を、民主主義體制で再適応させるという點(diǎn)でこの施設(shè)は非常に重要な機(jī)関だ。主體思想というのはご存知の通り、金日成が掲げた北朝鮮式共産主義思想のことである。

北からの脫北者は、ここで計(jì)12週間の教育を受け、修了後は定著金400萬ウォンと賃貸住宅を國から世話してもらう。オ?チョンソン氏の場合は、定著資金で家具や冷蔵庫などを購入したら余ったお金はわずかだったという。

産経新聞とのインタビューでオ氏が答えた內(nèi)容として、韓國軍のことを「軍隊(duì)らしからぬ軍隊(duì)」といったという記事が掲載されたが、北朝鮮軍は10年間服務(wù)するのに対し韓國軍は2年間服務(wù)する。韓國軍はそれだけ「軽い」ものとなっている。この部分を通訳が誤訳して伝えたらしい。決して韓國軍をばかにして話したものではないとオ氏はトーンを上げた。

命をかけて越えてきた板門店(パンムンジョム)で、今年4月に南北首脳會談が開かれた。どういう思いかとの問いに、「政治的関心はない。父親が北朝鮮軍の高位幹部なので、統(tǒng)一してほしいと望むのみ」と答える。

彼の父親が現(xiàn)在どのような立場でいるのかは不明だ。おそらくオ氏本人もわからないのではないのだろうか。普通だったら強(qiáng)制収容所行きである。いかなる処遇を受けているのだろうか。

オ氏は北にいるときには、酒が好きで飲むときは25度の北朝鮮の焼酎を7本ぐらい飲んだというが、今は身體も弱った狀態(tài)なので全然飲まなくなったという。

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