工藤 和直 2019年6月19日(水) 23時20分
拡大
アモイにあった廈門神社を訪ねた。
(1 / 2 枚)
1902年(光緒28年)1月10日、廈門島の対岸にある鼓浪嶼(コロンス島)に英國?米國?ドイツ?フランス?日本など9か國による共同租界が設置され、外國商社の商館が進出した。廈門島虎頭山周辺に日本専管租界地を作るという日本政府の目論みは失敗に終わった。下関條約によって、杭州?蘇州?紗市?重慶の専管租界地開設の権利は得たが、成功したのはせいぜい蘇州くらいで、その蘇州も共同租界地西側(cè)32ヘクタールに並立したものの、清朝政府が真に容認したかは疑わしい。
【その他の寫真】
廈門島には日本尋常高等小學校があった。1936年には51名、1939年には102名の生徒の記録がある。ここ鼓浪嶼(コロンス島)にも分校があり、1939年には15名が在籍していた。日本尋常高等小學校は虎頭山租界予定地にあったものと予想するが、詳細な場所は不明である。鼓浪嶼(コロンス島)分校は、領事館東の日本博愛醫(yī)院內(nèi)と思われる。
1938年(昭和13年)に日本海軍が廈門島を占領、その時日本人居留民は1939年3月23日に「廈門神社」建立を決定、11月29日には5000坪の神社を現(xiàn)在の虎園路16號の小高い丘に建立した?,F(xiàn)在の中山公園の東、廈門賓館內(nèi)である。虎園路廈門賓館前バス停前に古い石段があるが、そこを登ると右に泰國領事館、左の階段を登ると昔の參道になる?,F(xiàn)在は傅世藝宮美術(shù)館があるが、そこが昔の參拝殿になる。戦後しばらくは現(xiàn)存していたが、1987年に明宵庁を建設するときに解體された。
美術(shù)館入口右から廈門賓館本館に登る石段がある。この石段は明宵庁駐車場広場につながるが、石段上に対の狛犬があった。この狛犬は當時の物(奉獻の刻印あり)であるが、昔は參道にあったのを駐車場建設時に移設したと思われる。舊満州瀋陽市にあった奉天神社跡にも狛犬が殘っていたが、ここ廈門も當時の神社跡を感じさせる遺物である(寫真1)。この參拝殿は南向きの南北に長い敷地であったと當時の配置図から分かる。1939年當時の廈門神社寫真に大きな石が右に寫っているが、當時と同じ大石があった(寫真2)。
1945年(昭和20年)8月の日本敗戦に伴い汪兆銘政権は崩壊、中華民國の行政権が回復したが、まもなく始まった國共內(nèi)戦の結(jié)果、1949年10月に共産黨軍によって「解放」された。中華民國(臺灣)が実行支配する隣の“金門島”とは限定的に直接交流である小三通が認めれている。2017年にブーゲンビリアの花咲く鼓浪嶼(コロンス島)は世界遺産に登録された。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
この記事のコメントを見る
工藤 和直
2019/6/16
2019/6/6
2019/5/17
2019/5/28
2019/5/9
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務提攜
Record Chinaへの業(yè)務提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る