中國のオリジナル大作アニメが日本上陸―李剛?中蕓博悅文化伝媒有限公司総裁に聞く

Record China    2019年7月5日(金) 18時0分

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6月6日、インタビューのためCBD(北京商務中心區(qū))にある中蕓博悅の本社を訪れた。

6月6日、インタビューのためCBD(北京商務中心區(qū))にある中蕓博悅の本社を訪れたが、ちょうど退勤時間と重なり、中蕓博悅のトップである李剛氏は次々と著作権の商談に訪れている人たちの応対に追われていた。そのため、私は応接ロビーの表示燈の上に展示されているさまざまな時代の警察バッジ、ピストル、パトカーの模型をゆっくり見る時間がとれた。その時、思わず中國大陸で大ヒットした曲『少年壯志不言愁』が頭の中で響き渡った?!笌锥趣物L雨、幾度の年月を経て、風雪は激流となる……」。(文/『人民日報海外版日本月刊』編集長?蔣豊)

習近平主席とともに>

◆中央アジア訪問

李剛には、その立派な體格と鋭い眼光、簡潔な言葉のすべてに、彼が長い間従事していた重大犯罪擔當刑事の片鱗が感じられた。しかし、勝手知ったる公安を題材にしたリアリズム作品の人気腳本家へとひそかに転身し、多くの人気ドラマ?映畫作品をプロデュースし創(chuàng)作してきた彼であるが、かつての華々しい日々や誇らしい業(yè)績を多く語ることはない。

閑話休題。6月12日、習近平主席は隣國である中央アジアのキルギス共和國を國賓として訪問し、首都ビシュケクでのSCO(上海協(xié)力機構)サミットに出席した。李剛は訪問団の唯一の民間のエンターテインメント企業(yè)の代表として、習主席に隨行し、「キルギス—中國ビジネスフォーラム」に參加した。フォーラムの席上、中國?キルギス両國は「一映畫、一ドラマ、一酒、一茶、一校、一館」の戦略的枠組に関して、総額20億ドル超の提攜合意を締結した。中蕓博悅は準備段階で企畫と資金調達をおこない、中國國內の戦略パートナーと共同で、キルギスの関係機関と組み、合作映畫プロジェクト「シルクロード三部作」とドラマプロジェクト『他郷はどこ(仮)』を進める予定だ。李剛は中國側の代表としてフォーラムで基調講演をおこなった。

すべての栄光の背後には、獨特な考え方と著実な行動がある。李剛は流れるように語った。歴史研究で証明されているように、唐の大詩人?李白はシルクロードのオアシス、スイアブで生まれた。スイアブは今日のキルギスのトクマクである。李白は6歳のころから家族とともに漂泊し、スイアブから成都へと、そして西安へと流転した。美しく神秘的なスイアブが少年李白を育み、大都市長安が詩仙?李白をつくり上げたのである。彼のきらびやかな詩は中國?キルギス両國で人びとに親しまれ、広く伝えられ、中央アジア、東南アジア、そして世界各國に大きな影響を與えた。

中國?キルギス両國はともに大詩人李白を育成し、李剛にまったく新しい創(chuàng)作の構想を與えた。つまり、今日「シルクロード」といえば、多くの人が中國による経済と文化の「輸出」だと考えるが、実は交流は雙方向であり、「出て行く」ものがあれば「やって來る」ものもあるのだ。われわれが同様にシルクロードにおける「輸入」を語るとき、李白が遙かなスイアブから古都長安までを「名月は天山より出ず 蒼茫たる雲海の間」(「関山月」)から「蘭陵の美酒鬱金香 玉椀盛り來たる琥珀の光」(「客中行」)と表現(xiàn)したことに思いを馳せ、古代シルクロード上での文明の交流物語は今もまだ続いていることに思い至る。


李剛と彼のチームはオリジナル映畫『李白』を企畫すると同時に、さらにシルクロードの歴史上の人物である張騫と班超をそれぞれ描いた映畫作品2作を企畫している。彼らの名を耳にすると、たちまち遙かな西域遠征の時代が思い起こされ、中國の先人たちが困難に打ち勝って「経済」と「文化」の二つの車輪を前に推し進め、風と砂ぼこりの長い道のりの中から「ウインウイン」の象徴であるシルクロードを開拓したことを思い起こさせるのだ。

◆「一帯一路」のストーリーに注目

李剛の視線とペンは古代シルクロードだけを対象にしているわけではなく、カメラをパンからズームさせるように、徐々に現(xiàn)在の猛烈な勢いの「一帯一路」共同建設の上に焦點を合わせている。李剛によると、10數(shù)年前、キルギスの首都ビシュケクに、李全軍という退役軍人が起業(yè)しにやって來たが、ようやく事業(yè)がスタートした頃、大きな交通事故で下半身不隨になったという。しかも、災難は続き、キルギスの內亂によって苦労して経営した企業(yè)、商店などが一夜の動亂で焼き盡くされ、従業(yè)員のほとんどは中國に帰國したり、その場で解雇された。李全軍は障害を抱えた體を引きずり、狼藉の後の廃虛を見たが涙は流さず、そのまま異國の地でビジネスを続けると決めた。李全軍はその時を思い出し、「キルギスに根を下ろした初の中國の民間企業(yè)の人間として、最も厳しい時期に帰國したら、現(xiàn)地の人々の中國人に対する信用、隣國の中國に対する信用がなくなってしまう。だから私はここにとどまり、現(xiàn)地の人たちと共に難関を乗り越えようとした」と家族やパートナーたちに語った。李全軍は撤退しなかっただけでなく、現(xiàn)地の華人華僑とともに中國商會を組織し、キルギスの再建に力を盡くし、現(xiàn)地企業(yè)とのウインウイン、共存共栄の提攜を通じ、自身の事業(yè)も新たに築いたのである。

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