<コラム>中國?大連発リモートワークという選択はどうなのか、日本語教師の先生たちに聞いてみた

大串 富史    2020年9月4日(金) 23時(shí)40分

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中國?大連発リモートワークで奮闘中の日本語教師の面々:左上から右下にかけて順に、野北先生?松尾先生?キムラ先生?西山先生?睦子先生。

地球全體をすっぽりと覆ってしまったかに見える新型コロナ禍の暗雲(yún)。この暗雲(yún)がいつ去るのかは誰も知らないものの、とにかく仕事だけはしなきゃなるまい…と、最近になって改めて思う。

ところで、一體どんな仕事がコロナ禍のただ中でも可能なのか?聞けば世界でも日本でも、昨今はリモートワーク(テレワーク、つまり在宅勤務(wù))就業(yè)者の割合が急増中だという。もっともこの點(diǎn)については、僕的には今さら感がないわけでもない。

というのもコロナ禍のずっと前、もう2年ぐらい前から、僕はここ中國?青島で日本語教師のリモートワークをやっているからだ。僕と一緒に日本語を?qū)Wんでいる「生徒さん」というのは、中國全土から攜帯やタブレットやパソコンで「受講する」あらゆる年齢層の中國の人たちである。

じゃあ「先生たち」はというと、実は世界中の日本人が日本語教師としてパソコンで「教鞭を取る」。會(huì)社(つまり日本語學(xué)校)自體は中國?大連にあって、この會(huì)社だけでも日本語教師數(shù)は既に300名を超えたそうなので、中國における日本語教育市場の規(guī)模というものをだいたいご想像いただけると思う。

いや、ちょっと待て。この中國?大連発の日本語教師のリモートワークという選択肢は、実際はどうなのか。今回機(jī)會(huì)があったので、同僚の先生方に少し本音を聞いてみた。

#以下は新型コロナ予防対策の一環(huán)として採用した、リモートインタビューの一部である。ご了承いただきたい。

――最初に先生方の居住地や、リモートワークとして日本語教師を始めたきっかけを教えてください。

野北先生(以下、野北):オーストラリアに住んでいます。家庭の都合で家で出來る仕事を探していた時(shí)に、友達(dá)の誘いで始めました。

松尾先生(以下、松尾):私はスウェーデンに住んでいて、先月帰國しました。日本語教師の資格は持っていましたが、外資系の會(huì)社で會(huì)社員をしていました。オンライン日本語教師を知ったのは、自分自身がオンライン英會(huì)話を受講していたからです。それで「オンライン英會(huì)話があるのなら、きっと日本語教師もあるはず」と思い探しました。そして、副業(yè)でオンライン日本語教師として働き始めました。

キムラ先生(以下、キムラ):ブラジルに住んでいます。以前近くの日本語學(xué)校に勤務(wù)していましたが、自分のやり方で日本語を教えたくなり、獨(dú)立したのがきっかけです。

西山先生(以下、西山):元々臺(tái)灣で日本語教師をしていたんですが、退職してから日本で次の仕事を探していました。次も日本語教師をするつもりではいたのですが、1.臺(tái)灣で持病が悪化してしまい體力が著しく衰えていたことや、2.いずれまた日本語學(xué)校に勤務(wù)するにしても、給與水準(zhǔn)が高い職種ではないので副業(yè)もしたいという理由でオンラインの日本語教師を始めました。

睦子先生(以下、睦子):私は北海道に住んでいますから、リモートワーク歴は長いんです。25年ほど前から、東京の仕事を個(gè)人で受けて、雑誌記事や企業(yè)のホームページを作っていました。中國からの輸入品を販売するサイトを手伝ったのがきっかけで、自分でも細(xì)々と買い付けてみたりもしていました。子供が大學(xué)受験に差し掛かり、かーちゃんもっと頑張って仕事するよ!と思った矢先、今度は同居の親が要支援になってしまいましたので、その時(shí)やっていた仕事に追加するには、やはりリモートワークしかありませんでした。

――日本語教師を選んだのは、日本語教師にこだわりがあるからでしょうか?

野北:実を言うと、『日本語教師』を始めたいと思ったことは、それまで一度もなかったんです!日本では、子ども向けの英語教室の講師をしていました。オーストラリアでも英語が母國語の幼児に日本語で教育を行ったりの體験はありましたが、ほぼ成人の生徒さん相手に日本語を教えたことはありませんでしたので、最初はかなり戸惑いました。

松尾:中學(xué)生の頃に學(xué)校にALT(外國語指導(dǎo)助手)の先生が來て、英語で英語を教えているのがすごく印象的でした。そして、私もいつか日本語を日本語で教えてみたいと思ったんです。

キムラ:ブラジルに來るまでは、福祉の仕事をしていました。ブラジルは日系人が多いですから、日本語の先生のニーズがあり、すぐに近所の日本語學(xué)校からお誘いがありました。まさか自分が日本語教師になるとは思ってもみなかったです。

西山:學(xué)生時(shí)代に韓國に1年交換留學(xué)をしたのですが、その時(shí)に日本語の授業(yè)を受けている友達(dá)から動(dòng)詞の活用について聞かれて、よく分からなかったんです。それで、案外日本語について分からないことって多いんだな~と思ったこともきっかけになりました。それから単純に、當(dāng)時(shí)は將來韓國で働きたかったので「日本語教師になれば海外で働ける!」と思ったのがきっかけです(笑)

睦子:できそうな範(fàn)囲で最大限面白そうなのが日本語教師でした。文章を書く仕事をしていましたから、通販サイトでよく見かけるちょっと変な日本語も気になっていましたし、日本語の添削などの仕事もあればいいなという気持ちで応募したんです。輸入の際に、中國の女性擔(dān)當(dāng)者たちの圧倒的な英語力を見せつけられて、どのような人がさらに日本語まで勉強(qiáng)しているのか、興味もありました。

――會(huì)社(日本語學(xué)校)は日本の會(huì)社ではないですよね、不安はありませんでしたか?

野北:友達(dá)の紹介でしたので、その點(diǎn)についての不安はありませんでした。

松尾:不安はありませんでした。私の中で海外で日本語を教えたいという気持ちが強(qiáng)かったからです。でももし「今」で考えると、中國のアプリを入れるのに抵抗があるかもしれませんね。

キムラ:わたしは正直ありました。中國語が全く話せませんし、會(huì)社のシステムとかそれ以前に習(xí)慣や考え方の違いとか、日本と多少違うこともあるのでは?と思ったからです。

西山:臺(tái)灣の學(xué)校にいたので、特に抵抗もありませんでした。あやしい日本語を使って求人を出している海外の學(xué)校も多い中で、今の會(huì)社(學(xué)校)は求人広告できれいな日本語を使っていたのでむしろ安心でした(笑)。

睦子:応募する際、會(huì)社名をネットで検索したり、読めないなりに中國語のホームページも一通りクリックしてみました。中國からの個(gè)人輸入の時(shí)には何度か失敗したり殘念だったり悲しい思いも経験しましたが、それ以上に、仕事では冷徹(?)なのに個(gè)人のメールでは何だか溫かいという中國の人たちの不思議な魅力にはまってしまったようです。大學(xué)さえ出ていれば資格を問わずに採用してくれるという會(huì)社の太っ腹さに飛び込んでみた感じです。

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