中國新聞社 2022年5月25日(水) 23時20分
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「日本人僧侶が仏教を?qū)Wぶために渡海」と言えば、まず遣唐使を思い出すが、その後の宋代にも多くの日本人僧侶が中國に渡って仏教を?qū)Wんだ。寫真は浙江省杭州市にある「霊隠寺(れいいんじ)」。
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仏教の発祥地はインドだ。だが、ごく最近の事例を除けば、日本に伝わった仏教は中國、それも漢族に広まった仏教だった。いわゆる漢伝仏教だ。浙江省杭州の霊隠寺方丈(「方丈」は寺の責(zé)任者)であり、中國仏教協(xié)會副秘書長を務(wù)める光和法師はこのほど、中國メディアである中國新聞社の取材に応じて、漢伝仏教が日本などに伝わった狀況や現(xiàn)在の海外布教を紹介した。以下は光和法師の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■宋代にも多くの日本人僧侶が海を渡って仏教を?qū)Wんだ
古代インドで誕生した仏教はは中國に伝わり、隋唐の時代(589-907年)には天臺宗や華厳宗などさまざまな宗派が発生した。唐末になると禪宗が栄え、他の宗派は衰退した。その重要な原因は、禪宗が儒教や道教など、中國の古來からの重要な思想を吸収して中國化したからだ。
禪宗は、議論は避けて直感的な悟りを得ることを目指す。さらに、無念無想になることや、常に平常心を保つことを尊ぶ。これらは中國の伝統(tǒng)的な人生哲學(xué)と同じだ。
中國では王朝が何度も交代した。しかし支配者は基本的に仏教を奨勵し続けた。人々の心の問題を解決し、社會の安定に役立つと考えたからだった。そして中國の仏教は日本や朝鮮にも深い影響を與え続けた。
多くの日本人僧侶などが中國に來て學(xué)んだ時代としては唐代がよく知られるが、その後の宋代にも國外から多くの僧侶が中國に來て仏法を?qū)Wんだ。
浙江省宋代には寺院の公的な格付けが行われた。格式が最も高い寺は「五山十剎」と呼ばれた?!肝迳健工韦Δ岭戨L寺、徑山寺、浄慈の3寺院が杭州にある。そして朝鮮や日本からの多くの留學(xué)僧が杭州で仏法を?qū)Wんだ。なお日本でもその後、宋の制度を模して「五山十剎」が指定された。
もちろん、留學(xué)僧が學(xué)びの地として選んだのは杭州だけではなった。しかし日本人僧は朝鮮からの僧侶と比べて、杭州で學(xué)ぶことが多かった。日本人僧の円爾弁円や南浦紹明は、杭州にある徑山寺で禪を?qū)Wんだ。彼らは帰國後に臨済宗として禪を広めた。徑山は日本で最も普及した禪宗である臨済宗の「道場の原點」ということになる。
徑山では仏に供えるために茶が栽培されていた。日本人僧侶は徑山の茶を持ち帰った。日本では後に茶道が発達(dá)したが、徑山は日本の茶道の原點でもある。
南宋時代(1127-1279年)に中國に來た日本人學(xué)僧は、とにかく小まめに「ノート」を取り、名剎の配置から家具の配置まで細(xì)かく記録した。帰國後に、理想とする寺を建立するためだった。こうして、南宋の五山文化を凝縮した「五山十剎図」が完成した。日本ではその後、歴代の僧侶が「五山十剎図」を模寫した。現(xiàn)在までに原本は失われてしまったが、日本の寺院には合わせて三十?dāng)?shù)種の「五山十剎図」が保管されている。
■現(xiàn)代において仏教を海外に広がる意義はどこにあるのか
仏教は世界にもっと広げる価値がある。仏教で重要なのは慈悲、寛容、感謝の精神だ。西洋では歴史上、宗教が大きな原因になった戦爭が繰り返された。中國では、儒教と仏教の対立はあったが、信仰が原因になった大規(guī)模な殺りくは発生しなかった。これには仏教だけの特色ではなく、東洋文化の特色である寛容の精神が関係したと考える。
東洋と西洋では感謝の理念も違う。西洋でも親や先輩に感謝することはある。しかし東洋では感謝の対象が、個人を超越している。儒教もそうだが、感謝の念をもって天下に奉仕することが理想とされた?!赶葢n後楽」という言葉がある。「天下の憂(うれ)いに先(さき)んじて憂い、天下の楽(たのしみ)に後(おく)れて楽しむ」の文句を略したものだ。歴史を通じての、中國の知識階級の心意気を示す言葉だ。
東洋と西洋では慈悲の概念も異なる。西洋の慈悲はあくまでも、同じ宗教を信じる者に向けられたものだった。相手の信仰が異なれば、話は別になる。東洋の慈悲は、すべての者に向けられる。相手に対して恨みがあっても、その心は捨てるべきと考える。そしてどんな相手であっても、相手が苦悩から解き放されることを手助けすべきと考える。
だから仏教を海外に広める際には、東洋式の慈悲、寛容、感謝の理念を伝えねばならない。この3點が西側(cè)のいわゆる民主的自由に組み込まれれば、國際的な紛爭を減らすことができるかもしれない。
■相手が受け入れやすいことから伝えることが肝要
現(xiàn)在のところ、漢伝仏教の國際的な影響力はそれほど大きくない。國際社會において本當(dāng)の影響力を持つ僧侶も、極めて少ない。
しかし、われわれは4年前に、僧侶向けの外國語研修を始めた。杭州霊隠寺でも、多くの僧侶が英語や日本語で説法できるようになった。
中國仏教の「海外進(jìn)出」では、仏教文化を伝えることが突破口になると考える。仏教の聖歌は「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれる。2019年には中國仏教梵唄蕓術(shù)団と米國中華仏教會がニューヨークのリンカーンセンターで「祈?!工阮}したコンサートを共催した。2度の公演だったが、定員2700人の會場に入るためのチケットは入手困難になった。來場者は中國系住人だけでなく、白人も多かった。
このコンサートが成功した一因は、米國人になじんでもらえる方法を工夫したことだった。司會を務(wù)めたのは白人の僧侶だった。雰囲気づくりが上手な僧侶で、聴衆(zhòng)と交流して、一緒に中國語を唱えたりもした。彼のおかげで、雰囲気がとても盛り上がった。
過去にも似たような試みはあったが、ステージの上から一方的に伝えるだけで、聴衆(zhòng)は襟を正して拝聴しているしかなかった。19年のコンサート後には聴衆(zhòng)に「とても素晴らしく、幸せな気分なった。感動した」と言ってもらえた。
霊隠寺では囲碁や茶道の國際交流も行っている。日本から仏教囲碁代表団がやってきて、試合を行ったこともある。霊隠寺はその後、囲碁をたしなむ僧侶を日本やシンガポール、タイなどに派遣するようになった。まずは文化を通して交流するわけだ。
茶についても、米國やカナダ、歐州、さらにはユネスコ本部で茶會を開催した??激à皮撙欷小⑹澜绀巫诮踏蝸徊イ摔い?、文化蕓術(shù)はよい「運び手」であり続けた。われわれも仏教を広めるためには、相手が喜ぶ文明的な方法を選ばねばならない。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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