<コラム>映畫が映し出す、香港人の中國に対する不安と嫌悪

畝田 宏紀(jì)    2017年8月6日(日) 19時20分

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香港映畫「十年」を見た。私はかつて2度の香港勤務(wù)で合計11年弱住んでいた経験から、この映畫を論じて見たい。寫真は香港。

香港映畫「十年」を見た。この映畫は5人の監(jiān)督が製作した5作品によって構(gòu)成されたオムニバス映畫で、2015年の作品だとのことだ。私の香港映畫に関する知識は昔流行ったブルース?リージャッキー?チェンカンフー程度の域を出ないので、この映畫の蕓術(shù)性や他の作品との比較といった方面からの評価などは何もできそうもないしそのつもりもない。であるからこの映畫自體の解説や評価などにご興味をお持ちの方はお読みになられても余り裨益(ひえき)するものはないだろう。

私はかつて2度の香港勤務(wù)で合計11年弱住んでいた経験から、この映畫を論じてみたい。映畫のテーマは1997年7月1日の「香港の中國返還」により進行する「中國化」に対し、香港人が感じているであろう不安や恐怖が返還20年を経て年々高まりつつあることがこれら作品の背景にあると思われる。香港は97年以前は英國の植民地であり、その後は中國の領(lǐng)土ではあるものの、「一國二制度」という特別な制度の下で「高度な民主」を維持することを認められた「特別行政區(qū)」という複雑な社會である。であるが故に私が論ずるこの映畫に対する見方も香港という複雑極まりない社會から見れば斷片的で、偏ったものでしかないのかも知れないが。

私が香港を最初に訪れたのは北京留學(xué)中の1978年の末であった。その後社會人となり、駐在員として暮らした1度目は香港がまだ中國に返還される以前の1986年からの7年。そして2度目は香港が中國返還後10年以上経った2008年から2011年までの3年半強だ。その間もその後も香港へは度々出張、プライベートで行っている。勤め人としての私にとり、香港の意味合いは、中國大陸や東南アジア諸國へのビジネス活動のための拠點であり、香港社會や香港そのものへの関心は余り強いものではなかったことは言っておかなければならないだろう。であるから私の香港理解が當(dāng)を得ているかどうかは確信はない。とはいえ日々の暮らしの中で香港人との付き合いや、見聞きする香港の事情は日本や中國本土に暮らす人よりは多かったはずだ。

香港はご承知の通り1840年のアヘン戦爭の結(jié)果、香港島が英國に割譲、その後アロー戦爭で1860年に九龍半島が割譲され、さらに1898年に新界が99年の期限付き租借されたことに始まる。これにより1997年の中國への返還までの約一世紀(jì)半、香港は中國とは隔てられた英國の治世下にあった。ただ中國と九龍半島は陸続きであり、香港人の大半が中國にルーツを持つ広東語を話す中華系の人々でもあり、人的、文化的関係は絶えず大きく関わっている。そのために中國本土での政治的動きや変化は大なり小なり香港人の意識せざるを得ない関心事であり続けた。ましてや中國返還により中國領(lǐng)土の一部である「中國香港特別行政區(qū)」となった1997年以降は返還時に定められた、軍事と外交を除き50年間は「香港人による香港の統(tǒng)治(港人治港)」や「一國両制(一國二制度)」という約束がどこまで守られるかは自分たちの將來に関する重大事である。

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