<コラム>映畫が映し出す、香港人の中國(guó)に対する不安と嫌悪

畝田 宏紀(jì)    2017年8月6日(日) 19時(shí)20分

拡大

香港映畫「十年」を見た。私はかつて2度の香港勤務(wù)で合計(jì)11年弱住んでいた経験から、この映畫を論じて見たい。寫真は香港。

中國(guó)の香港経済テコ入れは成果を見せた一方、香港の中國(guó)化は進(jìn)んでいくことになる。私が2度目の香港駐在となったのは、こうした香港での中國(guó)化が進(jìn)んでいた時(shí)期で、加えてこの年の夏には北京オリンピックが開催されることとなっていた。このころの香港は返還前を知る者からすれば驚くべき変化であった。返還前の香港に滯在する中國(guó)本土からの中國(guó)人は國(guó)有企業(yè)の駐在員など極限られており、彼らは少數(shù)であるが故に現(xiàn)地の言葉である広東語を?qū)Wんでいたものだった。私の知人の中國(guó)人は上海人であれ湖北人であれ香港人とは広東語でコミュニケーションをとっていた。一方、中國(guó)本土で公的に使われる普通話(北京音を元に作られた標(biāo)準(zhǔn)語)は香港の街中では理解する人は多くなく、普通話を話そうものなら馬鹿にした目で見られるか鼻で笑われたものだった。

ところが08年のころには中國(guó)からの観光客は年間1660萬人前後となっており、香港の観光産業(yè)、経済に大きな影響力を持つようになっていた。その後香港個(gè)人旅行が解禁された都市は年とともに増えていき、昨年に香港を訪れた中國(guó)本土客數(shù)は4277萬人にも上っている。また中國(guó)本土資本の香港進(jìn)出も盛んで、まだこのころにはそれほど大きな問題にはなっていなかったが、香港での不動(dòng)産購入で不動(dòng)産価格や家賃は上昇するわ、香港で出産する本土の妊婦が押しかけるわで香港人の生活は影響を被ることとなる。こうして香港人の中には中國(guó)本土に対する感情的反感や不満が噴出し始める。こうなると香港中どこに行っても普通話は通じるし、反対に普通話が使えない人は職探しさえままならぬということになる。

こうした狀況がこの映畫の第3話の「方言」には投影されている。香港で広東語の使用が禁止になるとは思えないが、中國(guó)が香港の學(xué)校で導(dǎo)入しようとした「愛國(guó)教育」など中國(guó)化の広がりは強(qiáng)まりそうな勢(shì)いだ。それに伴い香港人の中國(guó)や本土の人々への警戒や嫌悪は強(qiáng)まる可能性が高い。返還後の香港の人口は約737萬人で、20年で約88萬人増加したとされるが、そのほとんどは本土の中國(guó)人と思われる。こうして振り返ってみると、返還後の前半の10年は中國(guó)にとってはまだ香港の持つ金融や貿(mào)易、制度などのソフトパワーは大いに利用価値のある「金の卵を産む鵞鳥(ガチョウ)」と言えただろう。

また香港は臺(tái)灣統(tǒng)一のためのショーウィンドーとの意味もあった。このため中國(guó)も香港の「一國(guó)二制度」の二制度の方を尊重した時(shí)期と言えるだろう。しかしながら後半の10年は香港人が予想した以上に中國(guó)が香港に手を突っ込んで干渉をするようになってきている。中國(guó)は今やハッキリと公言しているように「一國(guó)」の方に重點(diǎn)を移している。中國(guó)で禁書となっている中國(guó)に批判的な書籍を香港で販売していた書店関係者や香港の資本家などが中國(guó)に連れ去られるなどといった事件も発生しており、50年間の「港人治港」はその折り返し點(diǎn)にもたどり著かない內(nèi)に怪しくなりつつある。

中國(guó)は中國(guó)共産黨の機(jī)関中聯(lián)弁(中央政府駐香港聯(lián)絡(luò)弁公室)をはじめ、紅色資本と呼ばれる親中的資本家、企業(yè)や香港社會(huì)に存在する同郷會(huì)、地區(qū)組織、僑胞社団、青年?學(xué)生組織といった愛國(guó)社団などさまざまなチャネルを通じて反中勢(shì)力や運(yùn)動(dòng)への締めつけを強(qiáng)めていくだろう。民主化を求める人々は今回の行政長(zhǎng)官で市民の直接選挙による「普選」を訴えた。しかし現(xiàn)実の情勢(shì)は映畫の第1話「エキストラ」に象徴的に描かれたように、工作員や地下社會(huì)をも使ったような中國(guó)による香港の民主的選挙への暴力的圧力がエスカレートする恐れもなしとはしない。

今いる香港人の多くは生まれ育った環(huán)境や背負(fù)っている歴史、慣れ親しんだ制度も教育も中國(guó)本土とは大きく違うものなのだ。それを認(rèn)めることなく強(qiáng)引に中國(guó)の制度ややり方を一方的に押し付けようとしても、どだい香港人の心を摑むことはできようはずもない。映畫製作の以降に発生した雨傘運(yùn)動(dòng)や行政長(zhǎng)官選挙の経緯などを見ると、政治面での香港の將來の姿は楽観できるものではないが、できることなら2047年の「一國(guó)両制」の終わる日までに中國(guó)自身が変わるか、少なくとも「港人治港」の原點(diǎn)の精神に寄り添ってもらいたいものだ。

■筆者プロフィール:畝田 宏紀(jì)

1956年岡山県倉敷市に生まれ、現(xiàn)在東京在住。神戸市外語大中國(guó)語科卒。大學(xué)在學(xué)中、改革開放政策が始まる直前の1978年に中國(guó)に留學(xué)。香港駐在11年と中華圏での滯在歴は計(jì)15年。金融業(yè)界に30年間従事し、主に大中華圏をはじめアジアでのビジネスが長(zhǎng)い。特に最近までの13年間は中國(guó)経済、産業(yè)、企業(yè)分析に従事。興味は金融、経済にとどまらず、歴史、文化、言語など幅広い分野にわたる。

■筆者プロフィール:畝田 宏紀(jì)

1956年岡山県倉敷市に生まれ、現(xiàn)在東京在住。神戸市外語大中國(guó)語科卒。大學(xué)在學(xué)中、改革開放政策が始まる直前の1978年に中國(guó)に留學(xué)。香港駐在11年と中華圏での滯在歴は計(jì)15年。金融業(yè)界に30年間従事し、主に大中華圏をはじめアジアでのビジネスが長(zhǎng)い。特に最近までの13年間は中國(guó)経済、産業(yè)、企業(yè)分析に従事。興味は金融、経済にとどまらず、歴史、文化、言語など幅広い分野にわたる。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜