Record China 2017年1月3日(火) 7時(shí)50分
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ビジネス界は戦場(chǎng)だ。昔から中國人は、利益を追求するため頭を働かせる商人の様子を「リスクに富を求める」「商人に善人はいない」などと形容している。もしビジネス界にその形容に合わない人物がいれば、素人扱いされる。しかし、本當(dāng)にそうだろうか。
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【その他の寫真】
最高の景色は最大の苦労の後に
日本人は、高給取りの會(huì)社員は社長より気楽だと思う人が多い。朝から晩まであれこれ心配しなくてもよく、社員の給料が払えるか毎日心配することもなく、自分の仕事さえしていればこの世はめでたいというわけだ。まだ32歳の王遠(yuǎn)耀は、すでに一般の日本人が一生かかっても稼げないほどの収入を得ていた。普通なら「これぞ幸せ」と感じて冒険はしないところだろう。
しかし、一つの場(chǎng)所にとどまって前に進(jìn)まないというのは彼の性格には合わない。彼は常に、自分の前には開拓する価値のある事業(yè)、魅力のある光景があると考えていた。新しいスタートを切る時(shí)、成功と失敗の可能性は五分五分だが、彼にとって一番素晴らしい風(fēng)景は一番難しい登りの中に存在するのである。
1999年1月から2000年11月にかけて日本のIT業(yè)界は拡大期にあり、「IT景気」「ITブーム」と稱されたが、2000年12月から2002年1月に日本のITバブルは崩壊し、「第三次平成不況」となった。このようなIT業(yè)界の試練の時(shí)代、王遠(yuǎn)耀は危機(jī)の中でさらに大きい希望を育んでいた。當(dāng)時(shí)、彼は會(huì)社で4年間もがいていたが、仕事の中で培われた心眼も日々熟していた。大企業(yè)から年俸3割り増しでヘッドハンティングされたものの、彼は起業(yè)することに決め、自身の會(huì)社を立ち上げた。
2000年9月、彼は年俸1000萬円の仕事を辭め、もとの會(huì)社と提攜して3000萬円を投資し、社員3人のキング?テックを設(shè)立した。創(chuàng)業(yè)後、主にデータバックアップとデータ復(fù)舊、端末拡大などの業(yè)務(wù)をおこない、同社のバックアップ用ストレージは日本のこの分野では百貨店的存在となり、顧客は増え続けた。現(xiàn)在、すでに1000社を超えるキング?テックの顧客とは長期の安定的な業(yè)務(wù)関係を築いている。
日本市場(chǎng)を固めた後、王遠(yuǎn)耀は経済が成長し続け日進(jìn)月歩の中國に注目した。中國の金融分野の改革と発展の勢(shì)いはすさまじく、銀行の窓口で金融業(yè)務(wù)をする企業(yè)や個(gè)人は減り続け、ネットバンキングや電子金融がスタートしていた。彼はこのチャンスをつかみ、中國に向けて日本のATMを輸出し始めた。キング?テックはマルチベンダー方式で日本の金融電子製品の有名企業(yè)と提攜し、日本のATMなどの最新型金融電子機(jī)器を中國に輸出し、ちょうど中國の金融システムの更新期の潮流に乗ることができた。
近年、日本國內(nèi)のIT機(jī)器のニーズは頭打ちになり、ATMなどのシステム電子機(jī)器の価格は下がっているが、キング?テックは中國に同種の機(jī)器を販売し、中國のマーケットに一気に突き進(jìn)んだ。2010年第三四半期、キング?テックの日本と中國の売り上げがはじめて逆転し、日本での売り上げが40%、中國の売り上げが60%となった。
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